霧に阻まれて帰還し、終戦を迎えたという人間魚雷 回天の母艦であったイ号潜水艦の艦名をお教えください
出撃したものの霧に阻まれて帰還し、そのまま終戦を迎えたという人間魚雷 回天の母艦であったイ号潜水艦の艦名といいますか、イ何号潜水艦かを教えてください。回答(2)
3.

1、母艦の故障
2、搭載している回天の故障
3、帰還命令
4、作戦中止
以上、四つです。
私が思うには「霧の為回天の発射が出来なかった後、帰還命令で帰還した物と思います。
ですから、「霧で作戦中止」と言う記録は無いかも知れません。
そこで、生き残った潜水艦の最後の出撃のデータを調べてみました。
神武隊
伊367 20/5/5出撃 五基中二基発進 20/6/3帰還
轟隊
伊363 20/5/28出撃 五基中全基発進 20/6028帰還
伊36 20/6/4出撃 六基中三基発進 20/7/9帰還
多聞隊
伊53 20/7/14出撃 六基中四基発進 20/8/12帰還
伊58 20/7/18出撃 六基中五基発進 20/8/17帰還
伊47 20/7/19出撃 六基中0基発進 20/8/11帰還
伊367 20/7/19出撃 五基中0基発進 20/8/15帰還
伊366 20/8/1出撃 五基中三基発進 20/8/16帰還
伊363 20/8/8出撃 五基中に基発進 20/8/18帰還
神州隊
伊159 20/8/16(終戦後)出撃 二基中0基発射 20/8/18帰還
お役に立てなかったかも知れませんが、お許し下さい。
ありがとうございました。
1.
大正11年、ワシントン条約により米国の60%の主力戦艦しか保有できなくなった帝国海軍が、劣勢を補おうと建造した外洋での戦闘を目的とした攻撃用大型潜水艦です。
沿岸防御用の「海中型」に対し、「海大型」の名が与えられ、大正13年には、最初の海大型「イ51」が竣工されました。帝国海軍は大正12年以後、1000トン以上の潜水艦に「イ(伊)」、1000トン未満400トン以上に「ロ(呂)」、400トン以下に「ハ(波)」と名づけ、これと艦名番号と組みあわせコードネームとしました。実在の「イ-57潜」は呉海軍兵廠で1929年に建造され、「海大3甲型」で、全長100メートルでした。水上機を搭載可能で、定員は60名、潜行実用深度は60メートルというものでした。
なお、人間魚雷「回天」は、大戦末期に、水中特攻攻撃を目的として開発された、一人乗りの自爆を前提にした攻撃用有人潜水艦が人間魚雷。 初期の「1型」は14.75m、後期の「2型」は16.5m。回天は主に潜水艦により作戦海域まで運ばれ、出撃し、1944年11月より始まった回天の攻撃は米軍を恐れさせたが、実際の戦火は大したものではなかったといいます。
コメント(8)
ありがとうございます。
質問の意味がおわかりいただけませんか?
周辺の事情ではなく、
回天を搭載して出撃し、霧に阻まれて帰還し、そのまま終戦を迎えたイ号潜水艦の名称を知りたいのです。
イ57かイ58だと思いますが、ちょっと調べた限り分かりません。
http://carecopain.gooside.com/k2.htm
次のサイト情報から見ると、終戦時に呉にあったのはイ56、イ57、イ59でした。当時、イ59は練習船だったことを考えれば、イ56かイ57ということになります。
http://military.sakura.ne.jp/navy/s_kaio3b.htm
昨夜、家に飲みに来た友人が私のPCであちこちイタズラ書き
をしていたみたいで、今朝見て慌てて消して回っています^^;
こちらにも酷いことを書いていたようですね。
申し訳ございませんm(_ _)m
ご無礼お許し下さい。
僕も調べましたが質問とは違うので遠慮します。
ご回答ありがとうございました。
追い討ちの質問で恐縮でございますが……帰還した回天戦隊の名称はわからないでしょうね。
以前、別のテーマで防衛庁に質問したのですが残念な結果に終わってしまいまして、爾来、防衛庁には質問しないことにしております。
「帰還した攻撃隊」の意味を、「作戦中止で全基帰還した」と
理解しての回答です。
神武隊
伊58 20/3/1出撃 20/3/16帰還
伊36 20/3/2出撃 20/3/9帰還
神州隊
伊159 20/8/16出撃 20/8/18帰還
以上です。
他にも、会敵の機会に恵まれず帰還、回天の発進不能、
母潜の被害、帰還命令等による帰還があるものと推察しますが、
同じ攻撃隊の他の潜水艦が回天を発進させている攻撃隊に
関しては、敢えて書き込みませんでした。
回天を発進させずに帰還した潜水艦5隻(上記を除く)
個人的に調べた物であり、若干の誤りがあるかも知れません。
ハッと感じる出撃データがございました。ありがとうございました。





