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子どもと大人って、どこが違うと思いますか?

あなたは、子どもと大人のどこが違っていると思いますか。

子どもは、大人を小さくしたものではない、と言う
考え方が200年前にルソーによって提唱されましたが、あなたは、子どもは大人のミニチュアと感じることはありますか。

2006-10-10 20:50の質問
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回答(11)

11.

2006-10-13 07:07:11ベスト
ツルムシさんに賛成です!

ある日までは蛙にストロー(昔は麦の筒)吹いてお腹をパーン

と破裂させたり、両足もって又裂きしてたのが或る日突然

後悔するのです、それからは蛙に触れません。

興味本意で生き物殺したら駄目って気づいたのです

それが精神的な大人の第一歩かしらね!

大人は事柄事態で自分に+か-か考えられる人(良くも悪くも)

それ言うと母も私も駄目で子供達が上ですねぇ(>o<")

損だと思っても口出ししちゃいます我慢出来ない、クーーー

それで思うのは、ええねん分かる人だけ理解してくれたらと

自己満足の世界に浸るのが大人かな???

具体的で、参考になりました。ありがとうございます。

1.

2006-10-10 21:03:18
ミニチュアだと感じることは無いです。

動物を見れば分かると思うのですが、
親に頼らずに生きていけるのが大人、
そうでないのがこども。

人間も同じだと思っています。

2.

2006-10-10 21:04:00
体がある程度、成長したのが大人。
成長状態にあるのが 子供。

3.

2006-10-10 21:29:12ベター
本能のままに行動して、自分を中心にしか考えられないのが子供。
本能を理性や道徳心でくるんで、他人の視点から物事を考えられるのが大人。

子供は大人の「ミニチュア」というより、「核」みたいなものだと思います。

子どもは、大人の核みたいなもの、という発想面白いですね。気に入りました。ありがとう。

4.

2006-10-10 21:44:55
社会の常識が分る人は大人、でない人は子供。
例えばこれをすると相手が嫌がるだろうと考えるのは大人、でないのが子供。歳に関係ありません。
自信度 : 自信なし 回答レベル : 回答

5.

2006-10-10 21:52:25
 社会に出て一人で生活できるのが大人、そうでないのが子どもだと思います。

大人は子どもが社会でひとり立ちしていけるように養育し、しつけをし、教育を受けさせ、十分な生活能力を持てるように育てるという義務があります。子どもは親の愛護を受ける権利があるように感じます。

子どもが成人していても未だ生活能力がないと見られるときには、親は往々にして「うちの子はまだ子どもだから」などと謙遜します。本当は早くひとり立ちして欲しいと思っているものです。

子どもは大人のミニチュアという考え方は間違っています。
回答レベル : 回答

6.

2006-10-10 23:02:43
子供は残忍
大人は 現実的。

7.

2006-10-11 00:13:21ベター
子供は型がまだ出来上がっていないので、色々と吸収するのが早い。
大人は型が出来上がっているので、自分の型に合わないものは中々吸収できない。

ものを覚えるのは子供の頃の方が早かったですね。
また、子供が大人のミニチュアと感じたことはありません。
それに、子供は残酷だといいますが、大人はさらに残酷な生物だと思っています。
そうじゃなかったら、戦争なんてとっくになくなってます。

確かに大人も残酷ですね。権威とか支配欲とか、色々な欲望が戦争を引き起こしているのでしょうね。それに、子どもをミニチュア化した考えから、子どもに権利を与えないようにしようとする動きも大人の支配よく、と感じています。

8.

2006-10-11 00:25:29
年齢が大きい方が大人。まぁ18ぐらいからでしょうか。
それ未満は子供。
精神年齢が高い子供は大人びた子供。
と言う感じでしょうか。

9.

2006-10-11 00:53:53ベター
子供の時の方が
良くも悪くも直感的だったなぁ
とは思います。

色々なしがらみがなければ、大人ももっと直観力第6感が働くと思います。子どもの素直な表現や感じ方を忘れたくないと感じていますが……。

10.

2006-10-11 08:06:55ベター
ルソーの「エミール」 の教育論 によれば、子どもは、決して小型の大人ではなく、固有の人格と権利を持つ独自の存在であり「子どもを子どもとして見る」という教育思想でしたね。
「消極教育」という考えは大人がまだ未熟な子供に、この世に馴染んだ大人の心で、どちらかというと、踏み躙るように教えることでなく、内なる自然に導かれて伸びようとする時、その子の成長が歪められないように見守り、少しだけ手助けをしてやるというものなので、子どもが大人のミニチュアだと考えているようでは、こういう教育はできないでしょうね。

またルソーには「早期教育の否定」と言うのがあり『不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育』として子どもの現在の幸せを第一に考えるべきだとするものでした。
現在の幼稚園前の子どもに英語教育を施したり、より速く大人に近づけようとする風潮は私には首肯出来るものではありません。

もっともルソーの考えが性善説に基づく子ども観で聖書に裏付けされているものとして、
すべて認められるものでもなく時代の変遷もありますが。

18世紀までは子どものための衣服として成人の衣服と区別されるものは無く子どもは大人の服を、ただ小型にしたでけのものを着ていましたが、ルソーが児童保護の立場から従来の子供の衣服を批判し、子供服の必要を説いたことがきっかけとなり、子供にふさわしい衣服が生まれるまでにいたったそうですね。
それはいいことですが、最近の一部の子供服はやたらアイドルを目指しているように派手過ぎる気もします。これも子どもをミニチュア化している悪い一例ではないかと思います。

最後に今朝読んだある方のブログの中ですが、
子どもが地球温暖化対策をテーマにしたプロジェクトを組んだもので、子どもが子どもとしての大きな可能性があることを示唆されたものです。ご興味があればお読み下さい。

ルソーの解釈、参考になりました。ミニチュアと見ていた時代への警鐘が『エミール』だと思っていますが、現代の日本の教育観は、子どもの人権を認めない方向が頭をもたげているように感じています。いまの時代にもう一度、『エミール』から学ぶことは多いのではないでしょうか。子どもが安心して、自分の関心に基づいた可能性を伸ばせる価値観を、認め合える教育を考えていきたいですね。

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コメント(1)

#1.  G-JIBU
2006-10-11 11:01:08

ベターありがとうございます。

大人にとって都合のいい子供ばかりを作ろうとすると必ず弊害が生じますね。
今後の教育政策がどうされていくにしても、子供を主体とする教育でないといけないですね。

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