回答(6)
1.

やはり、格差は広がっていくように思います。
その背景の一つに、マニュアルでしか動けない人と、考えることが好きで創意工夫できる人との間に格差が生じると思います。
職場では評価が当たり前になってきています。自分の頭で考える力がないと、評価は低く、経済的にも豊かになれないのではないでしょうか。
大学受験の悪影響での競争社会をくぐりぬけて来ても、考える力が伴っていないと、やはり、《負け組み》になっていくように思います。
競争社会は、政策の変更に伴う教育システムの改善がなされないと、続くでしょう。格差も広がると私は、思っています。
早速のご回答、有難う御座いました。 まったく、同感です、と言うよりも、とても「参考」になる「回答」でした。
2.

3.

自由経済国が増え、中国等に代表されるような「眠ってたもの」が起きたら、経済の拡大は自ずと進み、日本人が自国生産以外の生産で、得られる生産は増える訳だから、うまく使った人間とおこぼれをもらう者との所得格差が開くのは、至極当たり前のことで、それをとらえて「格差」だと声高にわめくことではない。別段取り上げる材にはならないと思います。
何かの本に、昔は働いても働いても食べるモノがなかったので、「仕事もせず楽して飯を腹一杯食いたい」というのが国民の総意だった。今は、ホームレスでも腹一杯食える。彼らは定職も基本、ない。彼らこそが昔の日本人が望んだ理想像のはずだ。と書いてました。極論ですがね・・・。
この文の意は、昔のぞんだ「楽して生きる」・・・仕事をせずとも餓死するどころか糖尿になるくらいのホームレスがあふれている日本と日本人にも関わらず、庶民レベルでは、あくせく働いたり他でその功を競って、勝ち負けを意識してしまう世の中になった。ということかな?ふつうでいい。身の程を知る。という、日本人が持っていたものが、どちらかといえば、醜いものに見えているんじゃないでしょうか?
ちょいわるオヤジも結構だが、あんなもの、いい年したオッサンが気色悪い。と言われないのが不思議。オッサンはオッサンでもオッサンの魅力がある。素足で靴を履いた日には、水虫の心配をしてこそのオッサンでしょう。35過ぎの・・・まぁ・・・おばさん(ごめんさい)・・・を口説く為に、裸にシャツ着てることを笑わないのがおかしい。
イタリア人にはイタリア人のアメリカ人にはアメリカ人の美徳があって、日本人には日本人の美徳がある。この辺でいいか。とか、まぁ、それでも生きてってるからいいか。とか、あんな派手な生活なんて恥ずかしくてできないわ。とか。そういう「控えめさ」というか、本来日本人が持っているものを持ってさえ生きれば、格差を今まで通り、さほど考えずに生きていけるように思います。
勝ち負けの基準が、世間一般の基準とは違う、自分基準であれば、そんなこと考えても仕方ないことだと思えて、ハッピーな一生を終えることができるのではないかと思います。
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5.

一つ例を挙げます。昔、職場にT大を卒業した新卒が入ってきました。ところがやたらと「カルマン・フィルター理論で考えれば・・・」などと高卒の仲間に知ったかぶりをするのです。私は頭にきて化けの皮をはいでやりました(こっちの方が偶々知っていたから)。それで分かったのは彼は三浪でやっと入り、お情けで卒業した人と分かりました。こんなバカは自分の職場でいらないと痛感。昔はこんな人もT大出ならと会社でのさばれたのでしょうけど、今後は実力主義となるとさすがにダメでしょう。
日本の教育は、誰彼となく一本道で受験目指して詰め込みを押し付けるシステムです。こういう育つ方をした人は実は将来伸びません(世界的に見れば、二流の役人や企業人にしかなれません)。
ではどうしたらいいかですが、それはそれぞれの得意な道を歩むように努力することです(教育もそういう方向に見直すことが必要です)。役人や大会社に入るだけが人生ではないのです。個人の素質はさまざまだから、道は沢山あるのだと思います。大工になっていいし、料理人になってもいいし、美容師になってもいいのです。また、地方で農業をやってもいいのです。何も無理して大学にゆく必要はないのです。しかし安閑としていい訳ではなく、それぞれの好きな道で大学に行かなくても誰にも負けないくらい努力することが必要です。
要するに、今後の社会で本当の「勝ち組」になるには「人にできないことを出来るようになること」。一流の大工、料理人、美容師、芸術家、スポーツマン等などになれるよう努力すること。必要ならば海外で修行を積むのもいいかもしれません。役人や大企業に入るためのトレーニングはこれらの人には不要でしょう。
まったく、「同感」です。 と言うよりも、大変「参考」になり、「示唆に富む」ご意見だと思いました。
日本の社会は、今までは、「中流意識」と言う事で、多くの日本人が、「中流」「そこそこ」の「意識」を持っていたと思います。 つい、此間までの様に感じますが。 いまは、「ワーキングプアー」と言う言葉もあります。
6.

というより、今までが格差がなさすぎた、ということだと思います。(それは悪いことではありませんが。)
累進課税制度や高額な相続税によって日本は「成功した社会主義国家」だといわれたこともあります。
これは国家のバックアップがあってこそですが、国家の力が相対的に低下した今では、そのような「社会主義」を維持できなくなってきたのでしょう。
コメント(5)
金持ちだから 勝ち
貧乏人だから 負け
なんて ことは言えない。
経済格差は、確かにある。
それは、今も昔も変わらない。
江戸時代だって、その前だって同じなのだ。
それより、重要なのは、心の問題。
金持ちでも、貧相な心理状態しかもてないようでは 負けだな。
真資本協賛主義ってやつさぁ
「たのたの」さん。はじめまして。
そうですね。 昔、落語家の「三遊亭シンショウ」とか言う人がいて、この人は、「極貧」の「芸人」だったそうです。
その人いわく、「俺は、貧乏で苦しんでいるんじゃない。」「貧乏を楽しんでいるんだ」と、仰っていたそうです。
ベターありがとうございます。
いえいえ。
当然です。
私も、「ココナッツ」さんの様に、
頭がよければと思います。



