回答(5)
1.

2.

「是」と認めてはいけないものだと思います。
歴史的にも部落差別や身分差別など、いじめと同様のものが昔からありますが、そのどれもあって良いものだとは私は思いません。
綺麗事ですが、無くなって欲しいと思っています。
戦争とか、核兵器とか、その他諸々、多くの人間がそう思っている筈なのに無くならないことが、心苦しいですね。
綺麗事だけでは生きてはいけないとも思いますが、私は綺麗事も大事にしたいです。
でも、一向に無くならないのは、「なぜ?」
どうしたら、なくなる? 或は、減る?
3.

4.

非でなければもっと悪い世の中になります。
非であるという絶対前提のもと、世の中にまんえんしている様々な「いじめ」を認めて行くことが必要です。
それは限りなく辛い事、苦痛でしかないでしょう。
しかし、茨の道を避けようとした結果、どんなことになったかは、歴史を学べば分かるはずです。
「解決」を「クリック」しそうになりましたが、
もう少し、色々な「意見」を聞きたい、と思ったので、今回は「10ナレ」だけにしておいて下され。
5.

コメント(5)
ベターありがとうございます。(*^_^*)
いじめをする側、あるいはそういうものを生み出してしまう側に何らかの問題があり、その問題を解決することが出来れば、減るとは考えられますが、これもやはり理想論です。(^^ゞ
原因が複雑であったりもするでしょうし…。(*_*)
簡単に解決するようなものだったら、誰も苦労はしなくて済むのになぁと思います。
大変でも、諦めずに解決に向かって努力することが、減らす為には必要不可欠なことだとは思います。
一人で立ち向かうのではなく大勢で立ち向かう、という周りの協力もあると凄く心強いと思いますね。
一人の力はささやかでも、沢山の人が協力できれば大きな力となりますから。
と考えると、周りの人間全てが問題の解決に協力できるような環境であれば、それが理想なのでしょうね。
理想論ばかりですみません。(^^ゞ
いえいえ、
そういう「社会環境」が、戦後の「核家族」化等で、薄れてきましたよね。
これも、問題。
でも、「望み」だけは、もって行こう、っと。
ベターありがとうございます。
「いじめ」の「責任」が堂々巡りをして被害者である方に押し付けられているのも原因でしょうね。
「いじめられるほうに原因がある」という考えは、おそらく誰もが抱いた事があると思いますし。
いじめが 非と どうしてなくならないのかは 別のものですね。
「たのたの」さんへ、
「いじめ」のようなものは、「洋の東西」を問わず、時代の別を問わず、
誰かが、誰かを、「からかったり」「なじったり」「ふざけたり」「ふざけあったり」「口論したり」「殴りあったり」なんていうものは、洋の東西を問わず、時代の別を問わず、あったんじゃないでしょうかねぇ。
こういうものと、今、日本の社会で問題になってる「いじめ」、「自殺」まで至ってしまう「いじめ」とは、異質のものかも。 これらの「いじめ」は、誰もが減る事を、無くなる事を願っていると思います。
そこにも、上の「不変的」な「いじめ」の様なものも含まれていませんかね。




