「日本人」は、いま、「自信」も「誇り」も、失ったのか?
日本人は、もう、「自信」や「日本人としての『誇り』」 を、失くしてしまったのか?
もし、そうであれば、「なに」が、そうさせた?
あるいは、「誰が」、「どこが」、そうさせた?
回答(3)
3.

じゃあ、そんなにこの国が嫌いなのかといえば、「そんなことはない」と答えられるかたが多いのではないでしょうか?
わたしを含め多くの戦後生まれは日教組主体の「戦争をおこした日本は悪い」という教育をうけてきました。アジアを不幸にした加害者として戦争の責任を負うと。もちろん太平洋戦争における責任は日本にあることはいうまでもありません。ただ過剰とも思えるくらいたたきこまれました。その結果、自虐的な国民になってしまったように思います。
20年前に中国へ旅行したときいろんな国の学生や中国のかたと話する機会がありました。どの国の学生も自分の国が一番だと自慢のし合いでした。唯一日本の学生だけが沈黙していました。意外だったのは他の国の学生は日本を尊敬していると言っていたことです。
また戦争責任についてわたしはいろいろな中国人に謝罪しましたが、みな一様に終わったことだから気にするなと言ってくれました。
たしかに経済発展を第一に考えたために生じた歪みや大学教育の幼稚さ、英語教育の滑稽さ、モラル低下・・・あげればきりがないくらい「いやな」ところがある国です。
でもまわり国のひとたちは羨望のまなざしで日本をほめてくれました。経済・文化・技術はすばらしいと。リップサービスだから、、20年前だから、、、それだけではないはずです。悪くなったとはいえこんなに安全で綺麗で住みやすい国はなかなかないです。
ああ、俺日本に生まれてよかったぁ、と言ってしまうことないですか?
自信もちましょうよ。少なくとも日本の製造業の技術はいまだに世界一です。
そうでしょうねぇぇ!!
「我が国(日本)」は、「もの作り」立国でした、ねぇぇ! 忘れてました!! 時々、忘れてしまいます、、、 だって、こんな「ニュース」ばっかりではねぇ!!!
また、「邪馬台国」の「人々」は、本来、「綺麗好き」な「人々」だったのでしょうネェェ! 「物質的」にも、「精神的」にも、、、、。。。。。
ありがとうございました。
1.
考えるに、近年の「学歴至上主義」と「拝金主義」とがそうさせたような気がしてなりません。こういう主義の人たちは、異口同音に、「一流大学を出れば金持ちになれる」、「金さえあれば何でもできる」とうそぶいてきました。本当にそうだったでしょうか。
多感な青春を物事を考える余裕もなく受験戦争に費やした若者たちは全員が一流大学に入れたわけではありません。当然ながら、多数の落ちこぼれを生じさせました。落ちこぼれた人たちは自信を少なからず失い、何の目標も夢もなく企業に就職し、拝金主義的経営の企業の下働きをさせられました。仕事の上ではあまり自由度が与えられず自転車操業の毎日。これでは実力も中々育ちません。何故なら、実力とは自分で自発的にあがきながらも努力する中で育つものだからです。そして苦境を乗り切れた時に自信は付くもの。
また、新聞等で報道されるように、儲けるためなら何でもありの現実の中であくせくと暮らしたのでは、企業人としての誇りなど育つものではありません。こうして、他人のことはお構いなしで自分の目前の利益だけを追求する自信のない小市民が多くなったと思われます。
今後を考えると、日本社会の在り方を根本から見直す必要があると思います。まず大学受験志向の教育を改めること、若者の内に幸福ないろいろな人生があり得るを学び自分の人生設計を考えること、そしてその上で仕事と家庭生活のバランスを計ることなどが重要ではないでしょうか。
2.

1960年代以降の所得倍増計画による、経済優先の政策と教育の結果だと感じています。
いまは、新自由主義の経済のしくみの中で、競争が学校現場にどんとんと持ち込まれ、習熟度別クラスや受験至上主義のアンバランスなカリキュラムなどが取り入れられています。
子どもたちは、人権教育や人格の完成に向けての教育、社会性の発達などの保障がされない教育の中で、自己肯定感、セルフエステームの発達が阻害されていると思います。
自信は、自己を周囲が評価し、自己も認識した時に、豊かになっていくものではないでしょうか。
競争と否定の中で育つ子ども、そして社会に生きている大人にとっても、自己不全感は大きくなり、自信が持てる生活とは程遠い人間関係を強いられているように感じます。
自信が持てなければ誇りもなかなかもてないのではないでしょうか。
達成感やこだわりを感じるゆとりがない生活は、自信を育み「誇り」という概念まで、高めることは難しいと思います。
日本政府が差別撤廃条約を批准していないことを考え合わせると、政府の人権意識の薄さが、施策に反映され、いまの社会的風潮を助長していると思います。
また、経済界の新自由主義の進め方にも、日本人が「自信」や「誇り」を消失させているように思います。
日本人としての「誇り」という点で、外国在住経験の長い人の方が、マナーや伝承されてきた日本的な振る舞いは自然のように感じます。
日本人は、島国ですから、「日本人は」ということと向き合う生活は、ほとんどありません。外国で現地の方と交流するときに、はっとさせられることが多いものです。
日本人として「愛国心」を植えつける前に、人間として生きる哲学を学校教育のカリキュラムに入れることで、日本人としてのアイデンティティが育つと思います。自分と向き合う経験がないまま、「誇り」は、育たないのではないでしょうか。
その責任は、やはり、政府の経済至上主義にあると思います。
ココナッツ先生、
ご見識、「ご回答」、誠に、ありがとうございます。
えっと、その、「セルフエスチーム」って、「なん」でしょうか?
コメント(4)
best恐縮です。このテーマに関してはいろいろなご意見あるかと思います。私の書いたことも「おまえは右翼か」と誤解受けるような内容かもしれなかったのですが主旨はもっと日本という国に自信もってほしいと考えたためです。
おまえの言ってるのは20年前の日本である、とかアメリカのまねごとでしかないというような批判もあって当然だと思いますが、マスコミの論調などは批判・反省ばかりのネガティブなものばかりです。
いやなニュースが多く悲観的にならざるを得ないのは仕方ないのですが、もっと元気もって暮らしてもいいのでないでしょうか?
ベターありがとうございます。
セルフエステームも自己肯定感と同じように使われますが、自己実現や充実感が強いことをさすように思って、使っています。
テリーさんへ、
今回は、あるいは、もしかして、今回から、
あえて、「先生」を、外させて貰いました。
きっと、その方が、テリーさんも、(仰らなくても)、好ましく、思われるのでは、と、、、
まあ、そんな「瑣末」な事は、さて、おき、、、
ほんと、そうですよね、おっしゃるとおり、、、
ただ、「右翼」とか「左翼」とか、「保守」とか「リベラル」とか、は、少なくとも、「わたくし」は、そういう、「くくり」では、「ものごと」も「ひと」も、見ないように、あえて、努めている、つもりです。 いずれにしても、それらは、「フィルター」であり、へたをすると、、過った「先入観」や、偏狭な「偏見」に、陥る事を、恐れるからです。
コメント、ありがとうございました。
ココナツ先生、
「コメント」ありがとうございます。
「セルフエスティーム」ですね、つまり、たぶん、
”Self-Esteem”みたいな、「感じ」でしょうか?!
ご解説、有難う御座いました。



