「ホワイトカラーエグゼプション」という制度の導入について、どう感じますか?
賃金体系には、時間と成果に応じて、という2つの方法があるといいます。「ホワイトカラーエグゼプション」は、どちらかというと、成果主義ということでしょうか。国は1000万円以上の人を対象と考え、経団連は400万円以上の人を対象に考えいると聞きました。
教育の世界は、成果主義の賃金体系です。
皆さんの色々な視点からの考えをお聞かせください。
回答(4)
4.

ここで、ホワイトカラーの定義を明確にしておくことが重要です。この制度の趣旨は、「知的労働者の労働量を時間で測るのはおかしい、それは成果量で図るべき」ということ。ここでのホワイトカラーはこういう知的労働者でなければなりません。米国では、こういう労働者を法律で定義しています。
一方、オフィスワークでも知的とまで言えない補助的労働(秘書、補助的事務職、補助的技術職等)は、工場の労働者と同じように、労働者の自発的な知的工夫で労働効率を高める余地が少ないので、適用外とすることが重要。つまり、非知的労働者の成果量は自分で中々コントロールできないので、今まで通り残業に対して残業料を保障することが必要です(企業の単なる報酬削減が目的ではない)。従って、「知的の判断基準」は「仕事の内容」であるべきで、「年収400万以上」などは不可解です。
最近、書いたものを以下に添付します。
**
本制度を進めてきた米国では、労働者をプロフェッショナルと非プロフェッショナルに区分(ホワイト、ブルー呼称は差別的)。米国労働局によれば、プロフェッショナルとは次のような広範な仕事の従事者です。
簡単に言えば、大卒のオフィス勤務者はほぼプロフェッショナルで、残業代は全くつきません。即ち、上司了解の下で仕事をこなす形で会社に雇われ、仕事さえちゃんとこなせば定時の5時に会社を離れることが出来ます。彼らは毎日、定時に帰れるように仕事に精を出します(仕事が遅れて残業をしても残業料なし)。期待されるレベルの成果を出せない場合には、当然人事考課に影響、場合によっては降格もあり。
非プロフェッシナルには、大学を出ていない、秘書、補助的作業の事務員や技術者、更には工場現場の労働者など。これらの人も通常、定時には職場を離れ自宅に帰れますが、残業の場合には会社は残業代を払わなければなりません。要するに、時間労働です。米国流のいいところは、厳しい中にも、従業員は定時に帰宅でき、仕事と家庭生活をバランスできる点です。
ホワイトカラーの定義が日本では、大切にされないで導入しようとするところに問題があることが分かりました。
やっと、見えてきました。
私も成果主義の仕事ですから、時間の自由がききます。
残業が増えることが気にかかっていましたが、知識労働に限定しての導入であれば、5時に帰社ということも夢ではないことが理解できました。
ありがとうございました。
1.

いくら成果主義といったって、身体を壊すほど働いたり、家庭をかえりみない様ではいけませんよね。
エグゼンプションの導入には、労働時間を正確に把握していることが大前提で、これが曖昧な日本では時期尚早だと思います。
1000万以上ならイイカと思うかも知れませんが、消費税と同じように、制度導入後の額変更は簡単ですからね。
制度導入後の変更もこわいですね。
また、成果主義の導入により社員同士の関係は、協力から競争(教えない、教育しない)に変わってしまったという視点は、大きな課題ですね。
ホワイトカラーエグゼンプションは、日本で実施されるには、問題が多いことが分かりました。
2.

冗談は別にして僕は悪いと思っていません。但し金額が問題になります。真意は分らないが400万では食べられないでしょう。800万以上の人は残業代カットは問題無いと思います。
ただ このまま人件費が上がり続けると世界のコスト競争に負けるから上げたくない。上げないから手当てでカバーする手法を取っています。
僕の観た範囲では 給料の高い人ははっきり言って
余り仕事はしないです。遊びの人ほど給料が高いのも事実です。でも責任は一番最初に避けます。
400万円という平均収入以下の人を対象にすることは、生活を追い詰めますね。
3.

あまり意味のない残業が多すぎます。
残業代を稼ぐために残っているのではないかというような効率の悪いホワイトカラーが多いわけです。
この制度の導入とホワイトカラーの労働時間は何ら関係ありません。
むしろだらだら残業がへるのではないでしょうか。
そもそも10の仕事を効率よく8時間で仕上げたひとより効率わるく10時間で仕上げたひとのほうが給与が多いことが問題です。
単純作業なら導入すべきではないですが、知的労働をしている自負があるなら反対するものではないはずです。
ただ成果についてはしっかり評価できるシステムは確立しておく必要があります。
以前にも同じ類の質問がありましたのでご参考まで
以前の質問は気が付きませんでした。
詳細が分かりました。
知的労働に自負があれば、という視点は、そういう見方もあると思いました。実感もありますから…。
ビジネス社会の流れは、残業の内容を検討しようとしているのでしょうか。
コメント(12)
労働者派遣法の経緯が忘れられません。
派遣できるのは、最初は「専門性の高い業種」だけだったんです。それが、原則自由になった結果、現在のような状態(非正社員化、実質的な時給低下)を招きました。
エグゼンプションの狙いは、労働コストの更なる圧縮にあることに注意しなければいけないと思います。
働き方の規制緩和を進めた結果、所得が平均所得の半分に満たない層が急増しています。先進国では米国についで多いそうです(貧困層の割合)。
厚生労働省には、この問題の解決を最優先で行って欲しいと思います。
成果主義の導入は失敗であったというのが定説だと思っています。
成果主義は「一部の抜擢」または「上司の裁量権が増しただけ」だったと思います。そして、抜擢された人も、たいして収入は増えなかったのです。
成果主義の導入により社員同士の関係は、協力から競争(教えない、教育しない)に変わってしまいました。
「成果に応じた給与」と言う言葉には、一見、死角が無いように思えます。しかし、ホワイトカラーの成果が(よほど優秀な人を除き)毎年、査定可能とは限らないんです。
弁理士などの専門性の高い仕事でも、時間給で請求されているんです。これを成果給に変えようとすると、仕事の成果がハッキリする数年後にしか査定できないことになります。
日本の一流とされているメーカーの工場内での労働は驚くほど効率化されております。工場内の労働者はその動き方までシステム化され一切の無駄が省かれています。それにくらべてホワイトカラーはどうか?
もっと時間の使い方を考える必要があります。工場内での労働は労働時間=成果にちかく、正比例していると感じます。
労働時間で労働報酬を決められるのは高度に効率化された工場内の労働や倉庫内作業であり、いわゆるホワイトカラーの仕事は時間で測れないものだと感じます。
極端なはなしですが、会社は労働者にがんばってほしいとは言ってない、がんばらなくてもいいから稼いでほしいのです。厳しい言い方ですが会社のためにならない労働など頼んだつもりはないということです。
一番大切なのは成果を正当に評価できるシステムも築いておくことです。
わたしは仮に自分の仕事が収益に貢献できなければ恥ずかしくて残業はつけられないです。
エグゼンプション(除外)は、管理職や研究者にすでに適用されています。これで十分で、これ以上の拡大を許してはいけないと思います。
韓国では実力主義が日本より進んでいます。その結果、成果や競争に対するプレッシャーが高まっています。その結果かどうかは分かりませんが、韓国の出生率は急激に低下し、日本以下の1.08にまでなっているのです。
マジョリティにエグゼンプションを適用した場合、恩恵を受ける労働者はごくわずかで、ほとんどが明確な成果を出すのに苦しむようになります。
不幸な人が増えるだけですし、不幸な人が増えれば、社会は不安定化し、エグゼンプションの目的である生産性の向上も達成されないと思うのです。
経団連が、エグゼンプションを日本に適用する狙いは労働コストの圧縮です。その証拠に「世界的な競争力の強化のために・・」と言っています。
成果が出たら早く帰宅できるなんて、日本では考えられません。みんなのためにさらなる努力が求められると思いませんか。
エグゼンプションは不幸な人を増やします。
日本が真っ先にやらなければならないのは、正確な労働時間の把握と派遣等の規制緩和で増加した貧困層(所得が平均所得の半分以下の層:15.3% 2003年)を減らすことだと思うのです。
働き方の改革、米欧で対照的です。
米国はエグゼンプション導入済み。選ばれたものに成果主義を、それ以外には安く支払うという考え方です。所得は2極化し貧困率は17.1%です。
欧州はちがいます。初めに人間がいるのです。
8時間は収入のため、8時間は休息のため、8時間は自分のためという基本思想があります。
パートと正社員の労働条件を近づけるなど、全体を活性化する方法をとっています。その結果、ドイツの貧困率は10%、フランスは7%です。
日本は米国のアトを追おうとしています。それも、さらに下手なやり方で。それで良いのでしょうか?
気が付けば、いわちゃんが熱く語ってらっしゃいました。いわちゃんのおっしゃること、よくわかります。
べつにいわちゃんに恨みがあるわけではないのですが(笑)少しだけまたコメントさせてください。
貧困率については各国の所得の中央値を基準としており所得格差を示す指標となっても生活水準を比較する指標としては適当でないと考えます。またここでいう貧困にあたる所得水準のかたは今回の除外対象ではないです。(もちろんご指摘のように後々基準をかえるかもしれませんが)
貧困層を救うにはエグゼンプションより偽装請負のテーマについて優先的に語られるべきです。
ホワイトカラーに関しては非効率的、非生産的な残業が多すぎるのでこのような労働に対する対価は削減/圧縮されてしかるべきだと思います。
わたしはUSAさんご指摘の、仕事の内容を基準とする考えかたには大賛成です。
失礼しました。
「OECDは全家計平均所得の半分以下の所得しかない家計を貧困層と定義づけている。」 と認識しているのですが、「中央値」を使っていることを示す資料はありますか?
日本においてすでにエグゼンプションが適用されている人々の働き振りを見れば、どうなるかは明らかだと思います。
超長時間勤務で労働単価の安い人(結果的に時給が安い)が増えるだけだと思います。
ホワイトカラーの生産性が低いのは、その通りだと思います。ただそれを、エグゼンプションの拡大で高くできると考えるのは幻想だと思います。なぜなら、すでにエグゼンプションの適用を受けている人々の生産性も決して高くは無いからです。
日本の管理者層、研究者は非生産的と言う日本的な会社システムを長時間勤務でカバーしているんです。
生産性の向上は、エグゼンプションとは異なる手段でなされなければならないと考えます。
中央値の50%ということのようです。
中央値<平均値となり、約230万円以下の所得の世帯がこの定義に入るようです。
本来、知的労働者(米国では、professinalと呼ぶ)だけが対象です。それを国内では年収レベルで区分しようとしており、あるレベル以上がちょうど知的労働者と一致しない部分が出てくるという問題がありそうです。何とか国内でもこれからうまくいけばと思います。少しはお役に立てたようで嬉しく思います。ベストありがとうございます。



