デカルトはアンチキリストなのか
哲学者のデカルトはアンチキリストなのでしょうか?それとも違いますか?学者の間でも意見が割れていると聞きました。
どちらの意見が優勢なのですか?
ご存知でしたら教えてください。
回答(2)
2.

近代の哲学は、そもそもキリスト教神学に服従していた哲学を、神学から独立させたところから出発したので、たいてい、非キリスト教的なものを持っていると思います。(中にはキェルケゴールのようなバリバリの親キリスト者もいますが。)中でも、デカルトはその近代哲学の礎を築いた人ですから。
但し、ニーチェのようなキリスト教に対する敵愾心は特になく、「方法序説」をみても、神という言葉がたくさん出てきます。但しそれはことさらキリスト教的ではなく、この世にある完全なるものの象徴として、神という概念を使っているような印象を受けます。たとえば、「依存は明らかに一つの欠陥である…これら二つの本性をもって合成されていることは神における完全ではありえない、それ故に神はかかる合成者ではありえない」といった具合です。17世紀に、神という言葉を何の留保もなく使っているということは、ことさらアンチキリストではない、ということを示していると思います。但し、聖書を引用して論をすすめるようなキリスト教べったりの人とはほど遠いです。
丁寧な説明ありがとうございました。
やはり微妙なところなのですね。
1.

偶像としてのキリストは認めないが、人間としてのキリストなら認めるという立場ではないでしょうか。
参考になりました。
ありがとうございました。
コメント(3)
そっち方面の学者ではないので、どちらが優勢かはわかりませんが、自身で神の存在証明を試みたり、形而上に関する研究も多いようですので、少なくとも無宗教だったということはないように思います。当時の社会だと、宗教と学問の区別は未分であり、もし仮に彼が一部で批判されたような無神論者だったとするなら、無神論を導き出すような理論を出版することはなかったように思います。教会がコペルニクスを異端とすれば、コペルニクスへの支持を取り下げたように。。。
まぁ、実際どうかは本人に聞いてもわからないので闇の中ですし、後の哲学史家が唱える学説は時代によって変わるものなのでしょう。
>>1
偶像崇拝を認めない宗教もありますし、宗教が哲学の上にあるとする立場の哲学者もたくさんいます。
オニキスさん 真相は闇の中ですが、ご指摘の点はたしかにあるように思います。わたしは、それを、宗教の影響がそれだけ大きかったからではないかと推察しています。
また、偶像崇拝を禁じなければならないのは、宗教が偶像崇拝に陥りやすいからではないかと考えています。
キリスト教が偶像崇拝かどうかというと、
イエス自体が偶像崇拝してはならないといって神殿であばれていませんでしたっけ?
それを思うと、現在のキリスト教を標榜する人は笑っちゃいますね。




