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江戸時代の御殿医は、どのような身分の人がなれたのです
か?
私の父方の先祖は、代々薬売りをしていたそうです。先祖の中に御殿医がいたと聞いていますが、何か関係があるのでし
ょうか。そして、御殿医はどのようにな身分の人がなれたの
でしょうか。薬売りは、商人ですが、商人でも医学が学べた
のでしょうか。
2007-02-13 08:31の質問
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回答(1)
1.
2007-02-13 09:27:08

ウィキペディアによれば、武家の御典医は、将軍や藩主と身近に接する立場で、武士に準ずる身分であったそうです。
また、別の資料によると、御殿医は藩主お抱えの侍医で数名の有名な医師団からなり、その最たるものが将軍家専属の奥医師であったと書かれています。どの藩も江戸屋敷と地元に数十名の藩医をかかえており、藩士一族の診療にあたっていました。代々世襲制で、彼らは町医者と違いサラリーマンであり、生活は安定していたそうです。
一方、町医者は江戸時代の町や村で、細々生計を立てていた百姓および町人身分の医者の総称です。強いて言えば士農工商の工にあたり、身分は決して高くなかったとのこと。だれでも希望すれば医師になれる時代であったが、有名な医師のもとで修行してからでないと、患者の信用が得られず、実際には家業として成り立たなかったそうです。町医者への支払いは、盆暮れにまとめてすることが多く、それも米や作物が多いため、ほとんどの町医者は生活に苦労していたと言います。
ステファニーさんのご先祖に御殿医の方がいらしたとすると薬売りの方とは別人だったのではないでしょうか。町医者ならば、町人でも勉強してなれたであろうと思いますが、御殿医は世襲であったので普通の町人と言うわけはないと思います。
http://www.uraoka.jp/rekisi/index.php?e=53
また、別の資料によると、御殿医は藩主お抱えの侍医で数名の有名な医師団からなり、その最たるものが将軍家専属の奥医師であったと書かれています。どの藩も江戸屋敷と地元に数十名の藩医をかかえており、藩士一族の診療にあたっていました。代々世襲制で、彼らは町医者と違いサラリーマンであり、生活は安定していたそうです。
一方、町医者は江戸時代の町や村で、細々生計を立てていた百姓および町人身分の医者の総称です。強いて言えば士農工商の工にあたり、身分は決して高くなかったとのこと。だれでも希望すれば医師になれる時代であったが、有名な医師のもとで修行してからでないと、患者の信用が得られず、実際には家業として成り立たなかったそうです。町医者への支払いは、盆暮れにまとめてすることが多く、それも米や作物が多いため、ほとんどの町医者は生活に苦労していたと言います。
ステファニーさんのご先祖に御殿医の方がいらしたとすると薬売りの方とは別人だったのではないでしょうか。町医者ならば、町人でも勉強してなれたであろうと思いますが、御殿医は世襲であったので普通の町人と言うわけはないと思います。
http://www.uraoka.jp/rekisi/index.php?e=53
回答レベル : 回答
usaさん、今回も私の疑問を解決していただき、ありがとう
ございます。父方の先祖は富山なのですが、富山の二代目藩主の前田正甫(名前の方の読み方がわかりません)という御方が薬学に大変興味のある方だったそうで、薬売りの元祖と言われたそうです。系図がないので、どの人が御殿医だったのか、名前すらわからないのですが、子孫が代々薬売りをしてきて、北海道でも薬局を開いていた理由が解る気がします。
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コメント(1)
#1. usa
2007-02-13 10:46:50
お役に立てて嬉しく思います。立派な家系なのですね。明治初期にはいろんな人が北海道開拓にわたりましたが、知り合いでその頃のことを研究されている方の話をお聞きすると立派な人たちが多かったことに驚きます。ベストありがとうございました。

