回答(15)
1.
2007-02-13 21:05:48

バチがあたる!!そこなんですよね。聞きたいのは悪いことをすれば本当にバチがあたるのでしょうか?神様は実現しません。本当にバチがあたるのであれば、実現していることをみとめなくてはいけないんです。ね、意味深いでしょ。
3.
2007-02-13 21:15:32

神様は普通にいるはずがないと考えています。
なぜなら、超能力とかそういう力は絶対にこの世にありえないためです。つまり、神様が人の人生を左右するとか神様が天候を操るとかそういう馬鹿げた話はありえないということです。
この世は物質から成り立っています。これ以上でもそれ以下でもありません。人が想像する神様のような存在はありえません。
ついでに幽霊もいませんし、百パーセント当たる占いもありえないと考えています。
なぜなら、超能力とかそういう力は絶対にこの世にありえないためです。つまり、神様が人の人生を左右するとか神様が天候を操るとかそういう馬鹿げた話はありえないということです。
この世は物質から成り立っています。これ以上でもそれ以下でもありません。人が想像する神様のような存在はありえません。
ついでに幽霊もいませんし、百パーセント当たる占いもありえないと考えています。
自信度 : 自信あり 回答レベル : 回答
実に合理的な考えですね。
4.
2007-02-13 21:30:16

神の存在を前提にしたほうが説明しやすいことがたくさんあります。
何十億人もいる異性のなかなら伴侶、恋人と出会えたのも「神さまのおかげ」としたほうがロマンチックです。
〓 すでにはる さんご指摘の「バチがあたる」も実に素敵な言葉です。
神の存在は恋人たちをうっとりさせ、子供たちを少しだけおりこうにすることに影響しております。
何十億人もいる異性のなかなら伴侶、恋人と出会えたのも「神さまのおかげ」としたほうがロマンチックです。
〓 すでにはる さんご指摘の「バチがあたる」も実に素敵な言葉です。
神の存在は恋人たちをうっとりさせ、子供たちを少しだけおりこうにすることに影響しております。
5.
2007-02-13 21:34:21

そうですよね。神様は人の心の中にいると私も思います。
6.
2007-02-13 23:00:06

わたしは神様はいないと思っています。
神様が本当にいるなら、悲惨な出来事がこんなにたくさん起きないと思うからです。
神様が居るという考えを否定はしません。なぜなら神が居ないことを証明することもできないからです。
神を信じる人の心に神様はおられるのでしょう。
神様が本当にいるなら、悲惨な出来事がこんなにたくさん起きないと思うからです。
神様が居るという考えを否定はしません。なぜなら神が居ないことを証明することもできないからです。
神を信じる人の心に神様はおられるのでしょう。
7.
2007-02-13 23:54:03

個人的にはいない、と思っていましたが、とあるブログの記事で、もしかしたらいるのかも、と思うようになりました。
ブックマークもしてなかったので、そのブログがあるのかどうかも定かではないのですが・・・
その記事によると、「神は人を救わない」、「神はただ、在る」ということです。
筆者がどのような立場(宗教?)なのかが不明瞭で、たとえばある宗教を信仰をしているとか、実は神主さんだとか、牧師さんだとかは全くわかりません。
筆者によると・・・
神は地を天を統べるが、ただそれは神が思うがままに在るだけである。
神にとっての人間とのかかわりあいはきわめて些事で、人間は勝手に祀って勝手に崇めているだけ。
人間が滅びようと、栄えようと、それはただホコリが宙に舞うようなささいな事象のひとつであり、それを助けようとか、救おうとかいう意思はない。
ただ、それを左右する、支配する絶大なる力がある。
でも神はきまぐれで、そんな些細なことでも怒ったり、または助けてみたりする。
だからこそ、滅ぶ種や文明があったり、いろいろな宗教で「救世主」(具体的な名前はでていませんでしたが、たぶんイエスやお釈迦さまのことを言ってるのだと思います)を送ってみたり、また自らを滅ぼすような武器を作ってもほったからしにしている。
いろいろ社会情勢を揶揄するような内容も入っていましたが、「救わない神」というのがいてもいいかな~と思うようになりましたね。
すべては神の箱庭の中で行われているのゲームでは?!
ただ、「神様」のイメージや意味とはずいぶんかけ離れているなぁとは思いますけどね。
ちょっと筆者の趣旨とはずれているかもしれませんが(汗)
ブックマークもしてなかったので、そのブログがあるのかどうかも定かではないのですが・・・
その記事によると、「神は人を救わない」、「神はただ、在る」ということです。
筆者がどのような立場(宗教?)なのかが不明瞭で、たとえばある宗教を信仰をしているとか、実は神主さんだとか、牧師さんだとかは全くわかりません。
筆者によると・・・
神は地を天を統べるが、ただそれは神が思うがままに在るだけである。
神にとっての人間とのかかわりあいはきわめて些事で、人間は勝手に祀って勝手に崇めているだけ。
人間が滅びようと、栄えようと、それはただホコリが宙に舞うようなささいな事象のひとつであり、それを助けようとか、救おうとかいう意思はない。
ただ、それを左右する、支配する絶大なる力がある。
でも神はきまぐれで、そんな些細なことでも怒ったり、または助けてみたりする。
だからこそ、滅ぶ種や文明があったり、いろいろな宗教で「救世主」(具体的な名前はでていませんでしたが、たぶんイエスやお釈迦さまのことを言ってるのだと思います)を送ってみたり、また自らを滅ぼすような武器を作ってもほったからしにしている。
いろいろ社会情勢を揶揄するような内容も入っていましたが、「救わない神」というのがいてもいいかな~と思うようになりましたね。
すべては神の箱庭の中で行われているのゲームでは?!
ただ、「神様」のイメージや意味とはずいぶんかけ離れているなぁとは思いますけどね。
ちょっと筆者の趣旨とはずれているかもしれませんが(汗)
自信度 : 自信なし 回答レベル : 回答
8.
2007-02-14 05:15:47

人は神様や仏様を信じたり信じなかったり
することによって自分をコントロールしています。
上記にもあるように「バチが当たる」と
思うことによって自分を制御できるのです。
また神様に願い事をする行為も
自分が希望するものへ向かうための決意なのです。
例えば
「合格できますように」は
「合格するぞ!」
という意志、決意の現れです。
困ったときに頼み込むのも
自分を冷静にし、判断させるための行動です。
逆に神様など信じない。と言う人も
「神様など存在しないから自分でやるしかない」
と自分に言い聞かせるもので
それは神様を意識しているから
神様など信じないと考えるのです。
なんだか論理的になってしまいましたが
私はいないと思います。
でも、いて欲しいです。
することによって自分をコントロールしています。
上記にもあるように「バチが当たる」と
思うことによって自分を制御できるのです。
また神様に願い事をする行為も
自分が希望するものへ向かうための決意なのです。
例えば
「合格できますように」は
「合格するぞ!」
という意志、決意の現れです。
困ったときに頼み込むのも
自分を冷静にし、判断させるための行動です。
逆に神様など信じない。と言う人も
「神様など存在しないから自分でやるしかない」
と自分に言い聞かせるもので
それは神様を意識しているから
神様など信じないと考えるのです。
なんだか論理的になってしまいましたが
私はいないと思います。
でも、いて欲しいです。
回答レベル : 回答
9.
2007-02-14 06:50:51

私は無神論者 神も仏もいないと思ってます
いれば、極悪な人が生き延びて 生きて欲しい人が
若くして亡くなったりと矛盾が多くて納得出来ませ
ん、だから神社に参拝、お墓参りに行った時には
感謝と報告のみで願いはしません
但し信念は持ってます。天に恥じない様に生きたい
いれば、極悪な人が生き延びて 生きて欲しい人が
若くして亡くなったりと矛盾が多くて納得出来ませ
ん、だから神社に参拝、お墓参りに行った時には
感謝と報告のみで願いはしません
但し信念は持ってます。天に恥じない様に生きたい
10.
2007-02-14 07:20:52

私は仏教徒で、神(例えば四天王)の上の「仏」について研究しているのですが、今までの結果の内の一部を報告します。
様々な経典などから
1.「仏教の世界」を図形化するとどうしても「地獄」の大きさが不自然で歴史的に「後から付けた」と推測できること、
2.「地獄」における刑罰がそれぞれの経典が書かれた当時の情勢を反映していることから、元々の教えオリジナルのものではなく、当時の人々の「思い付き」で付加され、蓄積した結果であろうこと。
これらは推測ですが、「バチ」は「教え」本来ではなく「人間」が考えたものであろうと思われます。
また、経典の多くは「地獄」や「バチ」についての記述がないことも申し添えておきます。
回答についてですが「仏」は「衆生=生きとし生けるもの全て」の苦しみの理解の為に動物にすら生まれ替わり、共に苦しみ、その最終目的である「救いの時」を待つ存在です。阿弥陀如来のように「その時」が具体的に記述されているものもありますが、多くは記述されていませし、賞罰は「業」によって決まるのでこのような「他力本願」は仏教の本流ではないように思われます。
様々な経典などから
1.「仏教の世界」を図形化するとどうしても「地獄」の大きさが不自然で歴史的に「後から付けた」と推測できること、
2.「地獄」における刑罰がそれぞれの経典が書かれた当時の情勢を反映していることから、元々の教えオリジナルのものではなく、当時の人々の「思い付き」で付加され、蓄積した結果であろうこと。
これらは推測ですが、「バチ」は「教え」本来ではなく「人間」が考えたものであろうと思われます。
また、経典の多くは「地獄」や「バチ」についての記述がないことも申し添えておきます。
回答についてですが「仏」は「衆生=生きとし生けるもの全て」の苦しみの理解の為に動物にすら生まれ替わり、共に苦しみ、その最終目的である「救いの時」を待つ存在です。阿弥陀如来のように「その時」が具体的に記述されているものもありますが、多くは記述されていませし、賞罰は「業」によって決まるのでこのような「他力本願」は仏教の本流ではないように思われます。
回答レベル : 回答
11.
2007-02-14 09:53:23

貴方は電気の正体をはっきりと見た事がありますか?その正体を確実に認識したり触れたりした人は恐らく皆無でしょう。
でもその恩恵に与かっている事は動かしようの無い現実です。もし電気が無ければ、私達人間は生存する事すら容易でない事も明らかです。
その存在に感謝をし、大切にすれば末永く人間社会を豊かにしてくれるでしょうし、感謝する心を忘れ粗末に扱うといずれ人類は見放されるようになるでしょう。
遺伝子学者の村上先生は人知を超えた偉大な存在(サムシンググレイト)があるという風に語っておられますが、私ももしそのような存在が無ければ当然人類の存在も無いと言う風に感じています。
要は、あなた自身が神であり悪魔であると言う事です。人類個々人すべてがそうだと私は感じています。
すべてが貴方の内にあるのです。
ところで貴方はあなた自身存在すると思いますか?
この世の中にどの様な影響を与えていますか?
お互いに良い人生を送りましょう。
でもその恩恵に与かっている事は動かしようの無い現実です。もし電気が無ければ、私達人間は生存する事すら容易でない事も明らかです。
その存在に感謝をし、大切にすれば末永く人間社会を豊かにしてくれるでしょうし、感謝する心を忘れ粗末に扱うといずれ人類は見放されるようになるでしょう。
遺伝子学者の村上先生は人知を超えた偉大な存在(サムシンググレイト)があるという風に語っておられますが、私ももしそのような存在が無ければ当然人類の存在も無いと言う風に感じています。
要は、あなた自身が神であり悪魔であると言う事です。人類個々人すべてがそうだと私は感じています。
すべてが貴方の内にあるのです。
ところで貴方はあなた自身存在すると思いますか?
この世の中にどの様な影響を与えていますか?
お互いに良い人生を送りましょう。
12.
2007-02-14 10:44:34

日本の現状を頭に描いて見てみると、どの地方にも神社、仏閣、お寺があります。これから考えても分るように、日本は、仏教国で神の国ではないでしょうか。だけど不思議なのは、誰も神や仏教の事を教えない、習わない、「一部の方々、お寺、神主に成るための人には、教えているようですが」中には分らないから、無心論者と言う人もいる。だからこのことに人が迷っているのです。神とは何、仏とは何
これだけの問い掛けなのですが、様々にいう人がいて余計に分らなくなって来ています。仏とは生命のことです。これを仏法と言います。誰が作ったものでもありません。森羅万象(いろいろな物事のミクロやマクロまでの出来事)の法則の根本の一法が、宇宙の法則、これは人間が現れる前からずーっとあった法則です。(地球が自転して、太陽の周りを回ることなど)この法則を、始めて、「あぁなるほど」と感じた(発見)のがお釈迦様でした。これは引力の法則を発見した、ニュートンと同じ感覚です。そしてこれを悟達(ごたつ)悟ると言います。
そして、お釈迦様は、人が生まれて来た、理由や使命を人々に教え始めるのです。この時釈迦は30歳となっています。そして、まず始めに教え始めた教えが、1、華厳経という法華経に次ぐ大乗経です。教えが高すぎて人々が理解しにくいので、これを21日間説きました。そして、2、阿権経(あごん)3、方等経(ほうどう)4、般若経(はんにゃ)5、法華経涅槃経と教えました。ここに番号を入れましたが。今でえば、2、幼稚園3、小学生4、中学生1、高校生5、大学、大学院と言えます。お釈迦様は、最後の5番の法華経の中に人の生命の事を詳しく説いています。この教えが、中国にinして鳩摩羅中(くまらじゅう)が漢訳して、天台大師が体系ずけました。そして、日本にinしました。そして、今でも、日本の仏教界は3番の小学生の時の教えで成り立っています。おかしくない?と私は思います。つづく、
これだけの問い掛けなのですが、様々にいう人がいて余計に分らなくなって来ています。仏とは生命のことです。これを仏法と言います。誰が作ったものでもありません。森羅万象(いろいろな物事のミクロやマクロまでの出来事)の法則の根本の一法が、宇宙の法則、これは人間が現れる前からずーっとあった法則です。(地球が自転して、太陽の周りを回ることなど)この法則を、始めて、「あぁなるほど」と感じた(発見)のがお釈迦様でした。これは引力の法則を発見した、ニュートンと同じ感覚です。そしてこれを悟達(ごたつ)悟ると言います。
そして、お釈迦様は、人が生まれて来た、理由や使命を人々に教え始めるのです。この時釈迦は30歳となっています。そして、まず始めに教え始めた教えが、1、華厳経という法華経に次ぐ大乗経です。教えが高すぎて人々が理解しにくいので、これを21日間説きました。そして、2、阿権経(あごん)3、方等経(ほうどう)4、般若経(はんにゃ)5、法華経涅槃経と教えました。ここに番号を入れましたが。今でえば、2、幼稚園3、小学生4、中学生1、高校生5、大学、大学院と言えます。お釈迦様は、最後の5番の法華経の中に人の生命の事を詳しく説いています。この教えが、中国にinして鳩摩羅中(くまらじゅう)が漢訳して、天台大師が体系ずけました。そして、日本にinしました。そして、今でも、日本の仏教界は3番の小学生の時の教えで成り立っています。おかしくない?と私は思います。つづく、
自信度 : 自信あり 回答レベル : アドバイス
13.
2007-02-14 11:48:15

前に書いたように、釈迦、羅中、天台のことまで書きました。天台大師が、体系づけたものに、十界論があります。ここで、生命をまず、十個に分けます
1、地獄界、(じごく)(悶々とした状態で例えば夜中の歯の痛みのような誰に相談しても痛い感じです。)これが、画家が画いた地獄絵図と成った。
2、餓鬼界(がき)貪り食いたい飢えた状態。欲望
3、畜生界(ちくしょう)強い物にはへこへこして、弱いものには、強気な人の状態。
4、修羅界(しゅら)他人に勝ちたいと強く思う心
誰の心の中にもある感情です。これが国のトップの考えの中にあるから戦争になる。
この4個の生命状態を、三悪道四悪趣(さんあくどうしあくしゅ)と言う
5、人界(にんかい)穏やかな感情です。
6、天界(てんかい)喜んでいる状態です。
人は普段この6個の感情を、言葉や物の縁(えん)する物、その場面、でコロコロと感情を出して一日を生きているようです。これを6道輪廻(ろくどうりんね)と言っています。これに、声聞界(しょうもん)縁覚界(えんがく)菩薩界(ぼさつ)仏界
(ぶっかい)と言う四聖(しせい)があり合わせて
十界論と言います。こんなに人間の感情や心は簡単ではありません。地獄界の中に十界があります、地獄の地獄もあると言う事です。十界×十界=百界と成ります。これを十界互具(じゅっかいごぐ)と言います。そして、十如是(じゅうにょぜ)といいまして、相(そう)性(しょう)體(たい)力(りき)作(さ)因(いん)縁(えん)果(か)報(ほう)本(ほん)これを百界×と千如是×三世間(五陰世間(ごおん)衆生世間(しゅじょう)国土世間(こくど)これで、一念三千(いちねんさんぜん)という心の広がりと成ると教えています。つづく
1、地獄界、(じごく)(悶々とした状態で例えば夜中の歯の痛みのような誰に相談しても痛い感じです。)これが、画家が画いた地獄絵図と成った。
2、餓鬼界(がき)貪り食いたい飢えた状態。欲望
3、畜生界(ちくしょう)強い物にはへこへこして、弱いものには、強気な人の状態。
4、修羅界(しゅら)他人に勝ちたいと強く思う心
誰の心の中にもある感情です。これが国のトップの考えの中にあるから戦争になる。
この4個の生命状態を、三悪道四悪趣(さんあくどうしあくしゅ)と言う
5、人界(にんかい)穏やかな感情です。
6、天界(てんかい)喜んでいる状態です。
人は普段この6個の感情を、言葉や物の縁(えん)する物、その場面、でコロコロと感情を出して一日を生きているようです。これを6道輪廻(ろくどうりんね)と言っています。これに、声聞界(しょうもん)縁覚界(えんがく)菩薩界(ぼさつ)仏界
(ぶっかい)と言う四聖(しせい)があり合わせて
十界論と言います。こんなに人間の感情や心は簡単ではありません。地獄界の中に十界があります、地獄の地獄もあると言う事です。十界×十界=百界と成ります。これを十界互具(じゅっかいごぐ)と言います。そして、十如是(じゅうにょぜ)といいまして、相(そう)性(しょう)體(たい)力(りき)作(さ)因(いん)縁(えん)果(か)報(ほう)本(ほん)これを百界×と千如是×三世間(五陰世間(ごおん)衆生世間(しゅじょう)国土世間(こくど)これで、一念三千(いちねんさんぜん)という心の広がりと成ると教えています。つづく
自信度 : 自信あり 回答レベル : アドバイス
14.
2007-02-14 11:51:14

神様の存在を否定も肯定もできないので、どちらとも言えませんが、個人的には、たぶんいないのだと思います。
たぶんいないのだと思いますが、いたほうが楽であることは間違いありません。
殺人者が死刑執行までの間に、心から神様に帰依するという話しをよく耳にします。
そうすることで、被害者は一定の、また、殺人者は、無限の救いがあるわけです。
仕事が上手くいった。学業が上手くいった。ってことを、神様のおかげだと思えば、傲らずに済みます
。
ただ、妄信すると恐ろしいのものでもあります。
楽だから、余計に盲信するのだと思いますが。。。
おー○教などは典型です。
汗水たらして世間が働いているときに、水中に潜ったりしている。空中を浮遊しようとしている。彼らは煩わしい世の中から逃避したかっただけなんじゃないかと思わざるを得ません。
煩わしい世の中を生きる知恵として、神様は存在するのものだと私は思いますが、逃避するための道具としての神は厄介です。
信仰は自由だといいますが、信仰の自由を規定しているのが、社会なのですから、社会的ルールは守らねばならない。
逃げる人間は守りを固めますから、原理主義がはびこります。逃げる人間を追わないか、逃げない社会を造るかが、神様で楽をしようとした人間の知恵の見せ所です。
神様で楽をしようとした人間と生み出したもの・・・すなわち文化は、かなり密接に関わりあっています。お祭りだって相撲だってそうです。神様を否定することは、自らの文化を否定することになりかねません。
日本人は、日本人としての信仰は持つべきであります。世界では、それぞれの地域で、それぞれの神を信仰しています。
戦争体験からくる拒否反応は当然ですが、神様との適切な関係を構築することも、日本人の社会性を取り戻す方法の1つだとは思います。
たぶんいないのだと思いますが、いたほうが楽であることは間違いありません。
殺人者が死刑執行までの間に、心から神様に帰依するという話しをよく耳にします。
そうすることで、被害者は一定の、また、殺人者は、無限の救いがあるわけです。
仕事が上手くいった。学業が上手くいった。ってことを、神様のおかげだと思えば、傲らずに済みます
。
ただ、妄信すると恐ろしいのものでもあります。
楽だから、余計に盲信するのだと思いますが。。。
おー○教などは典型です。
汗水たらして世間が働いているときに、水中に潜ったりしている。空中を浮遊しようとしている。彼らは煩わしい世の中から逃避したかっただけなんじゃないかと思わざるを得ません。
煩わしい世の中を生きる知恵として、神様は存在するのものだと私は思いますが、逃避するための道具としての神は厄介です。
信仰は自由だといいますが、信仰の自由を規定しているのが、社会なのですから、社会的ルールは守らねばならない。
逃げる人間は守りを固めますから、原理主義がはびこります。逃げる人間を追わないか、逃げない社会を造るかが、神様で楽をしようとした人間の知恵の見せ所です。
神様で楽をしようとした人間と生み出したもの・・・すなわち文化は、かなり密接に関わりあっています。お祭りだって相撲だってそうです。神様を否定することは、自らの文化を否定することになりかねません。
日本人は、日本人としての信仰は持つべきであります。世界では、それぞれの地域で、それぞれの神を信仰しています。
戦争体験からくる拒否反応は当然ですが、神様との適切な関係を構築することも、日本人の社会性を取り戻す方法の1つだとは思います。
自信度 : 自信なし
15.
2007-02-14 13:47:08

今迄書いたもので、生命の状態や広がりが分って頂けたかと思います。また、宗教を計る物差しもあります。五重の相対、三証、五綱などがあります。そこで、この仏と生命が同じであると言いますが、宇宙の法則(一法)とは何か、以前書いたことがありますが、お釈迦様は、インドの言葉で教えています。鳩磨羅十と言う人が漢訳しました。南無(なむ)梵語(帰命)(きみょう)漢語です。薩達磨(さだるま)妙法(みょうほう)芬陀梨伽(ふんだりきゃ)連華(れんげ)蘇多覧(そたらん)経(きょう)。これが宇宙の法則の名前なのです。天台大師は、「南無妙法連華経」(なんみょうほうれんげきょう」と唱えてました。世の中にルールがあるように、この法則を唱えるにもルールはあります。
そのルールさえ守れば、どんな人も仏と開く事が出来ます。これが仏教(仏法)が生きている人の教えだからです。成仏と聞くと死んだ人を思い出すように教えたのが、「坊主が上手に生きていく為に、屏風に絵を画いて、反対の事を教え、真実を人々に教えなかったのが、現実の人々の迷いなのです。人はこの世に「衆生所遊楽」(しゅじゅうしょゆうらく)と言いまして、遊びに来たのです。また、「常楽我浄」(じょうらくがじょう)と言いまして、人間は常に前向きに、妙法を信じ、行、学にはげみ、他人の幸せを願い、生命力を満々と称えて生きていくどんな事があっても、豊かな生命力を満々と発揮して、悠々と、堂々と乗り越えて、人生を楽しみきって、生きていくことが出来る事を言う、また、現在過去未来と生命は三世常住であると覚知していく事が出来ると教えています。 つづく
そのルールさえ守れば、どんな人も仏と開く事が出来ます。これが仏教(仏法)が生きている人の教えだからです。成仏と聞くと死んだ人を思い出すように教えたのが、「坊主が上手に生きていく為に、屏風に絵を画いて、反対の事を教え、真実を人々に教えなかったのが、現実の人々の迷いなのです。人はこの世に「衆生所遊楽」(しゅじゅうしょゆうらく)と言いまして、遊びに来たのです。また、「常楽我浄」(じょうらくがじょう)と言いまして、人間は常に前向きに、妙法を信じ、行、学にはげみ、他人の幸せを願い、生命力を満々と称えて生きていくどんな事があっても、豊かな生命力を満々と発揮して、悠々と、堂々と乗り越えて、人生を楽しみきって、生きていくことが出来る事を言う、また、現在過去未来と生命は三世常住であると覚知していく事が出来ると教えています。 つづく
自信度 : 自信あり 回答レベル : アドバイス
16.
2007-02-14 14:12:50
この世に神様がいると信じているのは神主さんぐらいと思いますよ。
この頃、ホテルの結婚式場でも正面には神殿を模した祭壇がありますが、結婚式を神前で挙げるのは、一種の慣習です。
正面に何も無い所で行う結婚式を想像する事は出来ません。
この頃、ホテルの結婚式場でも正面には神殿を模した祭壇がありますが、結婚式を神前で挙げるのは、一種の慣習です。
正面に何も無い所で行う結婚式を想像する事は出来ません。
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コメント(2)
#1. p\df
2007-02-13 23:02:44
人間が神様と名づけたものが神様です。
ここにパソコンがありますが、それをパソコンと呼んだからパソコンとなったのです。
パソコンが世に出る前に 今の最新のパソコンを みんなに見せたら、どうなるでしょうかねぇ。
#2. ポルトガル人の先導師
2007-02-14 14:05:29
皆さん、沢山のご意見有難うございました。専門的な意見も多かったので正直、私には分かりにくかったのですが、凄く考えさせられることが多かったです。神様は人間が勝手に作り出したものかもしれませんね。しかし、神様が見ていないから悪いことをしてもよいということでもないのでしょう。神には頼らず、ルールは守るように生きていきたいと思います。




