回答(16)
1.
2007-04-28 19:40:20

2.
2007-04-28 19:47:45

3.
2007-04-28 19:54:35

4.
2007-04-28 21:34:01

死んだらこの世での生活はおしまいです。
あの世の事は私にはちとわかりません。
生きていたら、そのうち死にます。
人は死ぬまで生きるしか仕方ないのですね。
ですからそれまで私は精一杯生きたいと常々思ってます。
あの世の事は私にはちとわかりません。
生きていたら、そのうち死にます。
人は死ぬまで生きるしか仕方ないのですね。
ですからそれまで私は精一杯生きたいと常々思ってます。
5.
2007-04-28 21:42:47

6.
2007-04-28 21:46:21

死んでしまっておしまい。それは死んだ本人だけです。
遺された側に苦労をかけます。たいがい。
生きているうちにまだすることがあるでしょう。
生きていてもいずれ死にます。
死ぬために生きるのです。
遺された側に苦労をかけます。たいがい。
生きているうちにまだすることがあるでしょう。
生きていてもいずれ死にます。
死ぬために生きるのです。
7.
2007-04-29 03:25:05

8.
2007-04-29 07:24:34

9.
2007-04-29 09:59:27

死んでしまったら、肉体の外套を脱いで光になり、霊だけの存在になります。
そして、生きている人の所へ透明人間となって行きます。
やがて、またこの地上に生を受けて肉体を持ちますが、霊は不滅なので、同じような人生を勉強し直す事になります。
生きるも死ぬも霊の世界から言えば同じこと。
この世は幻想。
そして、生きている人の所へ透明人間となって行きます。
やがて、またこの地上に生を受けて肉体を持ちますが、霊は不滅なので、同じような人生を勉強し直す事になります。
生きるも死ぬも霊の世界から言えば同じこと。
この世は幻想。
10.
2007-04-29 10:10:47

あなたの、質問の意味が解りませんが、「自殺」を想定されているなら、それは「ノー」です。「自殺」は、どんな事が有っても、してはなりません。「自然死」の事と解釈しますと、人工的に生かされるのは、御免です。
人生は、何が起こるかわかりません。明日は何が起こるかを、想像しただけでも楽しくありませんか?何かの力がかかって、長生きをする。孫やひ孫の顔を見れるだけでも、嬉しい事です。
11.
2007-04-29 13:01:18

死んでしまったら、
今回の人生は終わり。
でも死後も意識は残るはず。
眠りから覚めて活動して、
また眠る・・。
イヤなこと、辛いことがあると、
夢の中でもうなされたり、
次の日にも引きづったり・・。
生死も同じではないでしょうか・・。
また、生きてるからこそ問題解決が
出来ると思います。
今回の人生は終わり。
でも死後も意識は残るはず。
眠りから覚めて活動して、
また眠る・・。
イヤなこと、辛いことがあると、
夢の中でもうなされたり、
次の日にも引きづったり・・。
生死も同じではないでしょうか・・。
また、生きてるからこそ問題解決が
出来ると思います。
12.
2007-04-29 15:20:10

授かったひとつの命を問題にするならば「死=終わり」です。
ですが、なにを主体にするかで生と死の価値は大きく変わると思います。生きることの価値、死ぬことの価値、死ぬことで失われる価値、生きることで失われる価値、そういうものがあると思います。たとえば、孔子、仏陀、モーツァルト、ダヴィンチ、エジソン、死んだのちも生きているものはあります。あるいは新しい命を作り紡いでいくこともできます。どうなるではなく、どうするかが大切ではないでしょうか。
わたしはいまだ死ぬことの価値も生きることで失われる価値も見出していないので、なにを成してなにを残すことができるのか考えながら生き続けています。この世に命を授かり生を与えられることは一つの奇跡ですから、いつか訪れる命を返し死を迎えるにも奇跡を起こさなければならない、少なくともそのときに「あぁ精一杯生きてきたな」と思えるように今を生きるよう努力しています。
ですが、なにを主体にするかで生と死の価値は大きく変わると思います。生きることの価値、死ぬことの価値、死ぬことで失われる価値、生きることで失われる価値、そういうものがあると思います。たとえば、孔子、仏陀、モーツァルト、ダヴィンチ、エジソン、死んだのちも生きているものはあります。あるいは新しい命を作り紡いでいくこともできます。どうなるではなく、どうするかが大切ではないでしょうか。
わたしはいまだ死ぬことの価値も生きることで失われる価値も見出していないので、なにを成してなにを残すことができるのか考えながら生き続けています。この世に命を授かり生を与えられることは一つの奇跡ですから、いつか訪れる命を返し死を迎えるにも奇跡を起こさなければならない、少なくともそのときに「あぁ精一杯生きてきたな」と思えるように今を生きるよう努力しています。
13.
2007-04-29 20:32:23

今はもうお亡くなりになった
今までに生きてきたすべての人
彼らはそれぞれに
彼らなりに一生懸命に
人生を
送って終えていったことでしょう
たとえ
その中のとても悪いことをしてしまった人
でさえも
不思議なことに
結果的には
彼らのおかげで
今日私たちはこうして生きています
はっきりいって
死んだ後人の意識はどうなるかは
わからないこと
でも
ひとつ明らかなのは
私たちは
今を一生懸命に生きることで
これから生まれてくる
未来人
が生きていけることです。
場合によっては
それは
あなたの将来のこどもたちかもしれません
生命全体に
“生き残る”という目的
がなぜ
あるのかは
今は不明であっても
少なくとも
今あなたが生きていくこと
には
重要な意味がある
のは明らかだと思います。
今までに生きてきたすべての人
彼らはそれぞれに
彼らなりに一生懸命に
人生を
送って終えていったことでしょう
たとえ
その中のとても悪いことをしてしまった人
でさえも
不思議なことに
結果的には
彼らのおかげで
今日私たちはこうして生きています
はっきりいって
死んだ後人の意識はどうなるかは
わからないこと
でも
ひとつ明らかなのは
私たちは
今を一生懸命に生きることで
これから生まれてくる
未来人
が生きていけることです。
場合によっては
それは
あなたの将来のこどもたちかもしれません
生命全体に
“生き残る”という目的
がなぜ
あるのかは
今は不明であっても
少なくとも
今あなたが生きていくこと
には
重要な意味がある
のは明らかだと思います。
14.
2007-04-30 07:04:10

大切なのは生きている過程であって生きた結果ではない
どんなにまじめに生きても、どんなにふざけて生きても生き物は死んでしまう。だったらまじめになるのは少し(仕事等)であとは楽しく生きれば良いと思います。
話は少し変わりますが、長生きしようがさっさと死のうがそんなものは個人の自由です。でも、「死にたいから死ぬ」なんて言葉は生きたくても生きれない人たちにとって失礼だと思います。いくら自分の人生でも周りの人にも人生はあります。人を侮辱したり人の人生に終止符を打つようなまねは絶対にしないでください。
どんなにまじめに生きても、どんなにふざけて生きても生き物は死んでしまう。だったらまじめになるのは少し(仕事等)であとは楽しく生きれば良いと思います。
話は少し変わりますが、長生きしようがさっさと死のうがそんなものは個人の自由です。でも、「死にたいから死ぬ」なんて言葉は生きたくても生きれない人たちにとって失礼だと思います。いくら自分の人生でも周りの人にも人生はあります。人を侮辱したり人の人生に終止符を打つようなまねは絶対にしないでください。
15.
2007-05-01 03:49:51

「死んだら」、確かに「この『物質的な肉体』」は、他の全ての「物質」同様、「腐って」、「チリ」と化すことでしょう。
しかし、「ヒト」は、「人間」は、ただ「物質的な存在のみ」でしょうか?!
『聖書』には、「『神』は、人間が『神』のような「存在」に、なるために、『神』の姿に似せて造った、と、あります。」
このことは、「一考」の「価値」が、あるとは思いませんか? 少なくとも、自分なりの「答え」が、見つかるまでは、この「こと」を、時々「考えてみては、いかがでしょうか?」
また、「人間」は、「物質的な『存在』であると同時に、「精神的な『存在』でもあるのでは、ないでしょうか?」
我々「人間」は、「精神、心、魂」とか、呼ばれる「目に見えないもの」も、持っているのでは?
長くなってしまわない内に、「結論」じみた事を言うとすると、
人の「死」は、たしかに『物質的』には、「終焉」を、意味していると思いますが、『精神的・霊的』には、「始まり」あるいは「再生」「再出発」を、意味しているのではないでしょうか?
それは、「ユング」などが、言っている『共通無意識』とも、繋がっているような気がするのですが、如何でしょうか?
しかし、「ヒト」は、「人間」は、ただ「物質的な存在のみ」でしょうか?!
『聖書』には、「『神』は、人間が『神』のような「存在」に、なるために、『神』の姿に似せて造った、と、あります。」
このことは、「一考」の「価値」が、あるとは思いませんか? 少なくとも、自分なりの「答え」が、見つかるまでは、この「こと」を、時々「考えてみては、いかがでしょうか?」
また、「人間」は、「物質的な『存在』であると同時に、「精神的な『存在』でもあるのでは、ないでしょうか?」
我々「人間」は、「精神、心、魂」とか、呼ばれる「目に見えないもの」も、持っているのでは?
長くなってしまわない内に、「結論」じみた事を言うとすると、
人の「死」は、たしかに『物質的』には、「終焉」を、意味していると思いますが、『精神的・霊的』には、「始まり」あるいは「再生」「再出発」を、意味しているのではないでしょうか?
それは、「ユング」などが、言っている『共通無意識』とも、繋がっているような気がするのですが、如何でしょうか?
16.
2007-05-01 08:18:34

トラは 死んだら 皮残すけどね。
毛皮ありませんので?
藍トラが生きているうちに何か残すといいと思っています(後世の為に)、
人にお世話になった借りは生きているうちに返さないと死に切れませんね。
現在まで育ててもらったり、教えてもらったり、迷惑かけてりした事、本人や親に返さなくとも自分の子供に尽くせば、返したことになりますよ。
まず生死の定義からですね。
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コメント(2)
「生きとし生けるもの」は、「大河の一滴」の様なもの、と、云っている人もいるようです。
また、「今の『自分』」が、あるのは、この「自分」を、世に出してくれた「両親」がいて、その「両親」には、また、「両親」が、いて、そのまた「両親の両親」には、「両親」、「父と母」が、いる、いたのですよねぇ!!
そこで、一句、
「先祖の血 みんな集めて 子が生まれ」 彩雲
所詮、「生物」の世界では、ほんの10%足らずのもののために、残りの90%が、働いている、あるいは、犠牲になっている、と、言うことも、どこかで、聞いた事があります。
「禅」の世界では、『花(桜)は、紅 柳は緑』というそうです。 この「多様性」が、いいのでは?
#2. ヌメロロジスト 美弥
2007-05-07 09:36:23
ばくぜ~んとした回答に、ナイスをいただきまして
ありがとう^^(笑) 人生時には、哲学も大切ですよね♪ そしてチャレンジ! 私も日々苦戦してます; それでは~☆



