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インターネットでのコミュニケーションや議論、批評、話し合いの可能性について。
'96年くらいから積極的にインターネットを使うようになって、もう10年をこえます。
回線速度とともに情報量やネットに対する技術も大きくなっているなと感じるのですが、
それを使う人間の悪い部分もたくさん大きくなっていると感じます。
疑問は色々、問題も色々あるのですが、
今回の質問内容は以下です。
自分の意見を書ける掲示板やブログのコメント機能を使って、
暴言を吐いたり、建設的な意見を壊しに
かかろうとする人を多く目にするのですが、
ネットはプライベートの延長という考えを全くせず、
実際に会って人に言えないような事でも、
平気で書いてしまう人がいるのは
ご存じだと思います。
今後、こういう問題はどうなっていくのか、
また、どうすれば良くなっていくのか、
なにか考えがあれば、お願いします。
関連する事であれば回答になっていなくても
回答してくれてけっこうです。
何回でも回答してくれてけっこうです。
回答(6)
1.

まぁ治安の悪化を加速すんじゃねーの。
で、なんでもかんでも全部ネットのせいにして、片付けていく風潮になってくんじゃねーか。
放火とか強姦、殺人、自殺、暴力、詐欺、なにかにつけて「インターネットの影響」とほざいて、だ~れも責任とらねーって論調になってくだろ。
今でもまぁそんなんみてーだがなぁ
たぶん、政府、行政がガンガン規制していって、個人的なインターネット利用はアングラになってくな。
たとえば、インターネット利用が免許制になったり、政府の検閲や介入して、メーカーやISPに命令して接続不可能にさせたりすると思う。
みんなどんどん疑心暗鬼になって、だれも信用しなくなる。
どうすればよくなるか?
よくはなんねーだろ。
まぁ強いていうなら、個人のインターネットの発信・配信を廃止。つまり今までのテレビみてーに、片方向だけの配信にする。
かりにそうだとしたら、政府、マスコミの思うツボって気もするが、
まー非現実的だがな。
実生活はグローバルじゃなくていい。
ムラで生まれ、ムラで働き、ムラで死ねばいいんだろーよ。
自給自足、小国寡民ってことよ。
それをしろっつったって、もうできねーけど。
ネットは会話的な作業に向いていないのかも知れませんね。
最近は全然見ないですけど、駅や町の掲示板みたいに、一方的な情報ばかりの方がいいかもしれませんね。会話しようと思わず、並列で意見は述べた方がいいかも。
2.

のスタンス、距離を知ることが必要です。
例えば、ひとの気持ちのなかに
土足で踏み込む・・って表現がありますが、
目に見えない、精神的なことなので
わかりづらいかも知れませんが、
ひとの家に土足で入るのと本当に同じです。
自分の空間を認識するからこそ、
他人との空間もおのずと出来ます。
>自分の意見を書ける掲示板やブログのコメント機能を使って、暴言を吐いたり、建設的な意見を壊しに
かかろうとする人
この人達は、その人自身も周囲から踏み込まれる
環境にいるのだと思います。
そして、自分の不快を見ず知らずの他人に
押し付ける行為をしているわけです。
>また、どうすれば良くなっていくのか、
”自分を知る”ことです。
そのためには、”自分を知る”ことの大切さに気づく必要があります。
こうなってくると、ほとんど不可能に近いですよね^^;
具体的な解決策などないと思います。
応急処置として、規制するのが最善策となってしまうのではないでしょうか?
大げさな話に聞こえるかもしれませんが、
”人類の進化の過程の不共鳴現象”と言われた方が
いらっしゃいますが、わたしも同感です。
また、”人のフリ見てわがフリ直せ”・・、
気づかされることもいろいろあります。
現状は自己防衛するしかないと思います。
これもスタンス・距離です。
とても難しい問題なので、回答になっておりませんが、わたしも常々感じていることなので、
投稿させていただきました。
ありがとうございました。
ネットは会話的な作業に向いていないのかも知れませんね。
最近は全然見ないですけど、駅や町の掲示板みたいに、一方的な情報ばかりの方がいいかもしれませんね。会話しようと思わず、並列で意見は述べた方がいいかも。
3.

そう考える理由は
> 実際に会って人に言えないような事が人によって千差万別だからです。
私自身ネット歴は97年くらいからですが、個人情報を晒すだの、犯罪行為を示唆するだの「あからさまなクロ」の行為は、確かに利用者の急増で数は増えましたが、ネット全体として見た場合比率的には減っていると思います。以前のネット界は良くも悪くももうちょっと無茶がやれて好きにやれる場所だったのに…と思うことすらあります。
前述の2ちゃんですが…以前はもっといろんな人がいろんな議論をしていた印象があります。
長文レスによるまともな議論も多かったし、だれが見ても嵐にしか見えない駄スレをみんなでかき回した結果良スレになるようなこともあった。
ただ、そういうごちゃごちゃした状態をしきれる人は一定数しかいないのに、ネットの一般化で利用者だけは増えたため収拾がつかなくなった。
このような状況に加え、サーバー負担軽減のための板の細分化と重複スレ禁止条項の厳格化、専用ブラウザ導入などにより、「居心地のいいお気に入りスレ」以外は目を通さない傾向が強まった。
結果、板の中・板の間で人・情報・文化が行き来しないように。変化が少なくなり澱みやすくなった「スレの空気」が正義となり、それに親しめる人にとっては居心地がいいがそうでない人には居心地が悪い場所になりつつあります。
大いに話が脱線してますが、何が言いたかったかというと同様の現象がネット社会全体で起こるのではないかと思うのです。
「これは人としてやらないだろう、普通…」というタブーを共有できる者同士があちこちのネットコミュニティーでそれぞれ集まり仲良くする。携帯サイトも含めればいまや山ほどコミュニティーはあるわけですから、同じタブーを共有するサイトは恐らくどこかにあります。
そういえば「ネガティブ発言絶対禁止」のSNSがある、なんて話を聞いた気がします。やや極端な例ではありますが…こういう「××禁止!」を共有できることを特徴とするサイトが今後は増えていくんじゃないかな、という気がします。
ネットは会話的な作業に向いていないのかも知れませんね。
最近は全然見ないですけど、駅や町の掲示板みたいに、一方的な情報ばかりの方がいいかもしれませんね。会話しようと思わず、並列で意見は述べた方がいいかも。
4.

>暴言を吐いたり、建設的な意見を壊しに
>かかろうとする人を多く目にするのですが、
この状況は続くと思いますよ。
高度情報化社会とコミュニティの選定自由化・細分化によって、各人の価値観が多様化して昔の人のように他の意見と対立、他の意見からの抑圧を経ないで成熟してしまうようになったってしまったから、Q値さんのいうように「ふつうこう思う」というものがなくなってきている。共有化できない現状があるんだと思います。
僕もこのコミュニティーに来てスポンジさんやスフィーさんひまな素浪人などと明らかに「ふつうこう思う」という常識が違う事を痛感しています。ですから、その各人の当然なる行いが別の人にとって居心地の悪く、奇怪で、時に我慢ならないように思えてくるのだと思います。皆さんのコメントを見ていてもその辺はひしひしと感じるわけです。
その違和感に対して我慢ならないとという判断が当然であるいわゆるバイナリ思考の方が増えていて、戦争じゃありませんがそうなったらやるかやられるか正義のためならなんでもありという思考回路になってしまうんじゃないかとおもいます。
僕なんかは、以前から変わり者なので、他の人とは違う違う事が当然と思う風潮があって、相手が自分にとっておかしな事を行っていても、その違いを楽しむ事ができます。今までの日本人の風潮のように他人に自分と同じである事を求めるのではなく、違いがあることを前提に違いに寛容になりその部分を楽しむようになればもう少しいい話し合いができるんじゃないでしょうか?
あとはネットの荒らしに対して耐性を持つ事ですね。これはこれからの人に必要な能力だと思います。以前は顔の知れた自分で選んだわけでない人達との付き合いがすべてでした。今は違う。その環境への適応力の意味でネットリテラシーともいうべき荒らし耐性は必要だと思います。
あと、言葉の問題。みんなが同じ事を思いそれを情緒として感じる今の国語教育ではダメということです。論理的に日本語を形成する理解する勉強、日本語がどういった印象で相手に伝わるのかの勉強も必要だと思います。
ネットは会話的な作業に向いていないのかも知れませんね。
最近は全然見ないですけど、駅や町の掲示板みたいに、一方的な情報ばかりの方がいいかもしれませんね。会話しようと思わず、並列で意見は述べた方がいいかも。
5.

例えば
石川遼選手見たさに集まる「にわかゴルフファン」のゴルフ観戦マナーの悪さ
ゼニガタアザラシの「コロちゃん」あまりの見物人(?)の無神経さに反抗、噛み付く。
観戦・見物も人間の行動ですし、周囲に多くの人間がいるのですから、当然コミュニケーションに限らず守るべきマナーが存在しますので、このようなことが平気でできてしまう神経を疑います。
また、
車内マナーを注意されて逆切れ、注意した人を刺す(刺殺する)
車内で周囲の人間を脅しながら、女性を暴行。
私が言いたいのは「実際会って人に言えないことを平気で書ける」ことを既にレベルとして通り越していて、実社会中で平気で行動してしまえる所にまで達しているのではないかと言う危惧なのです。
「前二者はまだ可愛げがある」と必ずしも言えない所にこの問題の根深さがあるように思います(行動は得てしてエスカレートし、注意すれば逆切れもあるでしょう)。
「自由」と「自分勝手」を履き違える人間は何もインターネット上のものだけではなく、既に人間社会に蔓延しエスカレートしていると考えるのは私だけなのでしょうか?
インターネット上の問題については、やはり発言者の「匿名性」が大きく絡んでいるような気がしますが、これまで述べてきたことは、間違った「個人主義」や「自由」が更なる酷い状況を生み出していると思えてならないのです。
日本人の世間との協調性は低下しているのは
分かりますが、
ネットの世界はかなり進んでいますね。
匿名性でないと出ない意見が面白かったり、
重みがあったりする場合もあるので
むつかしいですね。
6.

まず、ネット上の情報に限らず世の中に出回っている情報という情報は、新聞やテレビをはじめとするマスコミ報道から、書籍、学者政治家先生といわれる方々の発言、近所のおばはんの噂話に至るまで、何一つ鵜呑みにすることは出来ません。氾濫している情報の中で何が正しく、そして自分にとって有益かということは、自分自身で裏をとって判断する必要があります。そもそもそういうことでありますから、ご質問の文中にあるような「暴言を吐いたり、建設的な意見を壊しに」の類は、無意味な情報である事が大変分かりやすいので簡単に排除できます。その上で、信憑性の高いであろう情報のみをピックアップすればいいのです。もちろんこれもあくまでも参考としてであって、それをそのまま信用する事は出来ません。やはりその情報を基にして更に自分自身で調査する必要があります。ネット上の掲示板等の発言の場は、その特性上、嘘やデタラメ、誹謗中傷が安易に飛び交う場所であるという事を、そもそもそういうものなのだと言う事を参加者全員が認識するべきです。例えば飲み屋でうだうだ言ってる内容と会議で真剣に議論している内容と同じレベルで考える人は居ないのと同じです。ネット上の会話とはそもそもそういうレベルのものであり、名前も住所も性別も年齢も仕事も性格も学歴も専門も前科も何も特定できない相手と情報を交換するわけですから、それを受ける側がしっかりとしていなければ翻弄されてしまいます。参加者のマナーを向上させる取り組みはおっしゃる通り大変重要なテーマである事は間違いないと思いますが、そこにはやはり限界があると思われます。また、私はネットの発言の場にあまり法の規制を持ち込まない方がいいと考えています。そこで、まずは自分自身が、ネット上の雑多な情報郡からデタラメな発言を排除して、有益な情報だけを収集する心構えを参加者全員が持つ事だと考えます。その土壌が成立すれば、情報を発信する時にも出来るだけ正確で親切な情報を提供するマナーが自ずと浸透していくと考えます。
個人レベルでの改善策が「割り切る」事というのは、
建設的なのか?と思いますが、
もう、そうするしかないのかもしれませんね。
コメント(1)
ベターありがとうございます^^
>ネットは会話的な作業に向いていないのかも知れませんね。
ナレッジのような解放されたサイトでは、悪意の・タカをくくったひとも混ざってしまうのは仕方のないことだと思います。
その上で、”自己責任において参加する”のがいいのでは・・?
私自身は、ナレッジでずいぶん助かっております^^
