教育の世界にゼロトレランス方式(寛容度ゼロ)が持ち込まれてきました…。
皆さんは、どのようなご意見をお持ちですか?また、子どもにとって、どんな意味があるとお考えですか。
回答(6)
1.

うまくいけば安心して通える学校となり、成績も向上するでしょう。
しかし、下手な使い方をすれば自主性をそいでしまいます。
私の通っていた高校は、地域でも有名な厳しい学校でした。
俗に言う滑り止め高校でしたが・・・
厳しすぎて9クラスあった普通科の学級数が、1年から2年に進級するときに8クラスに減っていたほどです。
他の科もありましたから、全体では1年生が50名近く退学したはずです。
マナー教育に力を入れていましたが、いつも校内で見張られているような雰囲気で、あまりいい思い出がありません。
学校生活は修行のようでした。
20年以上前の話ですが・・・
安心して通える学校と、楽しい学校は違うんだなぁ、と当時思っていました。
でも、親がわが子を叱れない世の中です。
スーパーで暴れる子どもを叱ったら、母親に逆切れされてしまったこともあります。
でも、今も放し飼い状態(言葉は悪いですが)の子を見ると、手を取ってしゃがんで注意することにしています。
親御さんが子どもを叱れるなら、学校ではそこまでしなくて良いのでしょうが・・・
一種の「必要悪」でしょうか。
考えさせられるご意見、ありがとうございます。
家庭で身につけていたマナーが育まれていないから、ゼロトレランス方式は必要悪、という提案にうなづいてしまいました。
2.

これを見ての感想、という形で回答(?)してみます。
自分なりの印象は「生徒よりも教師の方が不幸になる方式」かな、と。
思い出したのは自分の中学校でした。私の入学する十年くらい前にやたら荒れたらしく、毒をもって毒を制するとばかりにいわゆる「体育会系」な教師をたくさん入れていました。理屈抜きながらも牽引力はある人達でしたので、生徒だけでなく教師も引っ張る存在であったのは確かです。
でも、その当時的にはその教師の存在自体が「問題教師」扱いされていた部分もあった。問題教師同士が牽制し合う我が校では問題が表面化しなかったのですが、私の卒業後、それらの教師を転勤させる英断を下した校長がいたらしく。
「子供通信」の口コミ情報レベルの信頼度ではありますが、転勤先では生徒・親に受け入れられず様々な意味でダメになっていった問題教師たちの後日談を聞いています。
アメリカのように、熱血鬼教師を「マニュアル・システム化」するのなら、鬼教師も”役”としてこなせるでしょう。しかし、日本でそれを導入しても表面だけ取り入れて教師を”鬼”にするだけの可能性が高いかと。
現状でも「下校時の見回り」など、学校外の行動まで見張る教員陣です。教育と躾は不可分ではあるのですが、現状でも日本の教員は「躾」の指導にウェイトを置きすぎる羽目になってる気がする。
躾はある程度以上は家庭の問題、犯罪は警察の問題です。そして教員は「教育」の質の向上に力を注ぐべき。生徒が授業を聞かないことは問題ですし、それは確かに教師の指導力不足ですが、それは「生徒を引きつける力」の不足であって、「生徒を仕切る力」の不足と取るのは様々な意味で不幸だと思う。そして、教員の友人から現状を聞く限り、「生徒を引きつける力」を育てる時間を作るにはあまりにも雑用が多すぎます。
手っ取り早く「美しい学校」を作るにはよい話ですし、犯罪行為が横行してる学校へのてこ入れとしてはアリかもしれませんが、麻薬同様いったん使うと使うのをやめるタイミングが難しそう、そんな気がします。
お久しぶりです。
また、なるほどと考えさせられました。
経験と文責、そして提案、いつも深く考えさせていただいています。
お名前をひらがなになさったんですね。
3.

今の学校では直に親が顔を出し、口も出し先生が困る時代にはピッタリだと思いますよ。
学校は学問を教わる場所、躾は家とはっきりしていいでしょう。
僕も学校にボランティアで行くと甘えてばかりの子供がいて困る時があります。こんな事が導入されるときっと自分の事は自分での風潮になり良い方向に向うでしょう。
僕の思ってる時代が近づいたかな。
今の時代の子どもたちには、必要な制度かもしれないと思えてきました。
回答、ありがとうございます。
4.

もし、これが小学校でも実施されると……、
まさに疑似ロボット育成プログラムですね。
子供の思考の自由を奪い、
思考停止した人間を続々と生産する、
そんな感じです。
自由な思考が原因で、
子供が何か問題を起こしても、
それは「子供だからしかたがない」ですよね。
そしてそれを正すのは親のつとめです。
自由な思考を奪わずに矯正させるのは、
規則ではなく愛情に裏打ちされた話し合いでしょう。
もし、小学生を説得できないなら、
それは親の能力不足ですから。
とはいえ、中学生ともなると、
こういった制度を導入し、
規則を守らせるというのも、
意味があると思います。
義務教育中に社会に出るための教育を
施さないといけないのですから、
「ルールを守らない人間は排除される」
という意識を持たせるためにも有効だと思います。
ただ、「例外なし」という規定にしてしまいますと、
特別支援教育を受けなければならない
「ルールを理解する(守る)のが難しい人々」
まで適用されるわけですから、
「どこまで適用するか」
はしっかりとした議論を行う必要があるでしょう。
社会に出ることが決まった段階で、
社会教育を施すような、
そういった専門教育機関を設置するなら、
そこでゼロトレランス方式を利用した
社会教育を施すという手もあるでしょう。
効率重視の現在の教育システムでは
実現は難しそうですけど。
いつも、ていねいな回答、ありがとうございます。
考えさせられる視点がいくつもありました。
どこまで「適用するか」ということは、大切な視点ですね。
5.

また、子供(ができたらですが)も通わせたくありません。
善悪の基準を明確に打ち出すのはいいのかもしれません。
しかし、そうなっているのは何故かを考えさせないように向かうんじゃないでしょうか、この国は。
このところ、学校儀式の中での日の丸君が代の扱いが問題となっています。
国家のシンボルに反対するような動きを見せる生徒も「退学」という形で処分されてしまうようになるんではないでしょうか。
また、学校の中での世界はとてもダークな所もあります。
子供は大人が思っているほど単純な生き物じゃないです。
結構打算的なところもあります。
教師に評判のいい生徒が、ものすごいいじめっ子だったという現実も見ていますし…。
結局の所、卑怯な世渡り上手を大量に生み出すことになるんじゃないでしょうか…と思うのは考えすぎでしょうか。
参考になる回答、ありがとうございます。
学校現場では、トップダウン方式が当然になりつつあるようです。
子どもたちも同様に規律や規則を守らせるために、ゼロトレランス方式が打ち出されています。
そう考えると、Mr.Bakerが提案されているように、自分で考えない従順な子どもたちが、育っていく危険性をはらんでいますね。
子どもの権利条約の意見表明権が無視され、全国学力テストで読解力向上と、自分の意見を書く能力を高めようとしていることと矛盾してきます。
このシステムについて、これからじっくりと整理していきたいと思います。
6.

教育はその名のとおり、教え、育むことです。
educateは「心身共に子どもを育てること」ですし、その過程が一方的なものであってはならないと思います。
一方的な押さえつけは、その場はしのげても必ず強力なしっぺ返しがきます。
「教えることは学ぶこと。To teach is to learn 」と言われます。
教師たちがゼロ・トレランスを都合のよいように解釈して教場に臨めば、子どもたちの不幸はいや増します。
私立の全寮制高校などではすでに実施されている制度なのでしょうか。
私立というよりも、公立の学校の中にじわじわと浸透してきていると、現場の先生方からも聞いています。
ご意見、ありがとうございます。
コメント(5)
ベターありがとうございました。
私も勉強になりました。
ベターありがとうございます。
教育機関の責任と親の責任。
最近では教育機関に責任を丸投げし、
その上で文句ばかりいう親もいるようですから、
こういったシステムを導入しないと、
学校教育が成り立たなくなってきているのかもしれませんね。
そういった問題に対する根本的な解決は
もう難しいのでしょうか……。
回答を拝見していると、ゼロトレランスについて若干誤解されている感じもするので、ココナツさんの方から経緯を含めて説明された方がいいような気がします。議論としては、考え方の問題と運用上の問題を分けた方がいいでしょう。
ベター、ありがとうございますm(_ _)m
> 名前をひらがなに
まぁ…イメチェンのようなもので…(苦笑)
ネットのつながりで会う方が、旧HNだと呼びにくそうにしているのを見て、変えてみました。
変えるついでにアイコンも変えた方がよかったかな、とか思うこともあったりします。
ベターありがとうございます。
子供にお手本を見せられない大人がいない、というのも問題でしょうね。
教育政策に力を入れようとしている国のトップが、あれですからね…。
締め付けてもまた暴発しそうな気がします。
ゆとりを騒ぎ立てたときのことを忘れたんでしょうかね(だからといって、ゆとり教育に賛成できるわけじゃないですが)



