日本が大好きです。次の文を作ってみたが、俳句としての条件満たしていますか。講評、添削待っています
石打てば 紅葉に啼いて 山雲雀
古山家 川に漂う 藍の花
友人と、姥子温泉で囲碁を打ったことがありました。それを思い出して、このような句を作ってみました。
回答(2)
3.

1句目について。
「紅葉」、「山雲雀」は、秋の季語ですから季語を一つにしたいですね。
個人的には、ヤマヒバリはなかなかお目にかかれない(自分が気がついていないだけかも…^^;)鳥なので、「山雲雀」を用いてほしいな。しかも、作者が山にいることもわかりますし。
打ち合う囲碁と、歌い続ける山雲雀の掛け合いは印象的です。
2句目について。
山中に残る古山家。人々は、ここに家があることを忘れてしまったのだろうか。辺りは一面、すっかり藍の花だったのでしょう。川にこぼれてしまいそうなくらい…。
「川に漂う」は、水中を想像させます。よろしいのでしょうか。きっと岸辺の表現と思いますが…。
古山家 川面をなでる 藍の花
…うーん。難しいですね。せめてヒント程度になれば幸いです。
※回答2を削除し、再編集しました。
※コメントに投じた書き込みですが、回答履歴に残したいので回答にも投じさせていただきました。
ありがとうございました。季語がひとつであることをわかりました。またよろしくお願いいたします。
1.
これは俳句の条件とまでは言わないでしょうが、風景を詠っていて、和語だけで書いているところも、とても俳句らしい俳句だと思います。
中国の方ということですが、中国の古い漢詩のような格調高い風景描写だと感じます。
コメント(20)
俳句は、季語を一つだけ用いる表現でなくてはなりません。
1句目について。
「紅葉」、「山雲雀」は、秋の季語ですから季語を一つにしたいですね。
個人的には、ヤマヒバリはなかなかお目にかかれない(自分が気がついていないだけかも…^^;)鳥なので、「山雲雀」を用いてほしいな。しかも、作者が山にいることもわかりますし。
打ち合う囲碁と、歌い続ける山雲雀の掛け合いは印象的です。
2句目について。
山中に残る古山家。人々は、ここに家があることを忘れてしまったのだろうか。辺りは一面、すっかり藍の花だったのでしょう。川にこぼれてしまいそうなくらい…。
「川に漂う」は、水中を想像させます。よろしいのでしょうか。きっと岸辺の表現と思いますが…。
古山家 川面をなでる 藍の花
…うーん。難しいですね。せめてヒント程度になれば幸いです。
※回答2を削除し、再編集しました。
ご回答ありがとうございました。遊び心でやりましたが、俳句であることを知り、とてもうれしいです。ありがとうございました。
コンセントさん、いろいろ教えてありがとうございました。山雲雀は想像したものです、表現したいのは、石の音と鳥の鳴き声でした。川に漂う 藍の花も想像したものです。藍の花が落ちて、川に漂うという感じでした。やはり、川面をなでるの方が自然でいいですね。ありがとうございました。
俳句にはやはり想像したものはあまりよくないでしょうね。
>>#4
俳句は、「禅味」、禅のニュアンスがあることが大きな価値の一つだと思います。禅は、具体性を非常に好みますが、必ずしも想像で詠むことを妨げるものではないと思います。これは俳句が登場する前の和歌の話ですが、新古今和歌集は、非現実的で想像の産物の和歌が多いそうです。
俳句については素人ですが、こう思います。間違いがあれば、どなたかが訂正して下さい。
菜の花や月は東に日は西に
という与謝蕪村の有名な句があります。「月」は普通秋の季語になりますが、ここでは「菜の花」が季語になり、季節は春ということになります。
なので、季語になりうる言葉が複数あっても、「こちらが季語だ」と解釈をすれば、それで構わないように思います。但し季語を複数使うことは、一般的にあまり好まれないようでもあります。でも必然性があれば、構わないように思います。
>>#4
想像でしたか~。
ヤマヒバリや藍の花は、身近ではないので貴重だなあと思っていました。
藍は、小さな花が集まった植物です。ツバキのように、ボタッと花が落ちるとは思えません。
ともあれ、表現にもう一工夫リクエスト♪
じつは、「川面をなでる」は、繁茂するイヌダテの花が、稲の穂のように垂れ下がった様子を表現しました。…そう、藍の花じゃなかったんですね~。
藍の花って、水辺の陸にも生えるのか疑問だったもので^^;
俳句は、つじつま合ってれば、想像でもいいのではないでしょうか。
作者がその時感じた、一瞬を詠うのですから。要は、表現する言葉選び(遊び)かと。
>>#1
回答3に投稿したつもりが、コメントに投じてたようです。
これはどうですか。川がなくて、川が見えるという「禅味」? :)
古山家 紅葉に惹かれ 鮎が飛ぶ
鮎は秋の季語ですか。
>>#5
>俳句については素人ですが、こう思います。間違いがあれば、どなたかが訂正して下さい。
コンセントも同様に。
俳句では、同じ季を表す季語を複数用いることはありません。
菜の花や月は東に日は西に
以上の季語は、春の季語(菜の花)と秋の季語(月)を用いています。
「月」ついて。
「月は東に日は西に」という「月」の使い方で、日本における春の天文現象(たしかそうよね)を表しているのではないでしょうか。
この場合は、「春の月」になるので、秋の季語としての「月」でなくなっています。それでいて、春の季語でもないわけです。
あー、うまく説明できないです。屁理屈ばかりになりそうだわん。
>>#7
「鮎」は夏の季語です。
「落ち鮎」なら秋の季語です。
落ち鮎とは、産卵のために上流へ遡上してきた、大人の鮎です。秋が産卵期なんです。
夏にみかける鮎は、青みを含んだ美しい灰色をしていますが、繁殖期を迎えた落ち鮎は、黒ずんだ灰色をしています。
産卵をした成魚は、こうして一生をしめくくります。
そして次の春、新たな命が川を下りながら大人になっていくのです。
幼い鮎のことを「若鮎」と呼びます。これは、春の季語です。
鮎の作品について。
地域によりますが、彼らの産卵期から一足遅れで、山は紅葉を迎えます。
それを考えると詠いにくいのですが、こんなのどうでしょう。
落ち鮎の 香り誘われ ○○○○○
○印は、言葉が出てこないのでお任せします。
>>#9
コンセントさん、いろいろ教えてありがとうございました。
俳句は奥が深いですね。何よりも、季語ひとつでその季節の自然を詠うので、面白いです。また自然の奥深さにも感服させられました。
敢えて句を続けたが、
落ち鮎の 香り誘われ 人ごみに
落ち鮎の 香り誘われ 酒とかな
前句の雰囲気を損なわなかったかなと心配です。
ベストありがとうございました。
自分の、表現の乏しさに呆れていたので、申し訳ないくらいです。
>>#7
見えない情景が見える表現は、素敵な感性だと思います♪
鮎は飛ぶんですよね。滝を登るときに飛ぶんです。しかし、それが見られるのは、日本では初夏から夏の間だけなの。
自然の正直な現象を目の当たりにすると、夏と秋の自然が一体になったような表現だと違和感があります。
例えなんですけど、「同じ場所に複数の情景」を表現するなら、「回想」というのができますね(詠えないので、イメージを紹介します)。その上で、詠うわけです。
「すっかり紅葉で染まった山々。静かに、だが艶やかに、ますますその姿を変えていくのだろう。
ほんの数ヶ月前は、鮎が元気に跳ねる、深緑をまとった雄々しい景色だったのに。
遠くに残るあの古山家は、山と一緒に呼吸をしているようだ。まるで、ずっとずっと昔から、ここの守番をしているように。」
…なるほど!
これは、季節を迎える立場の誤差なのでしょうか?
何のことかというと…。
>>#7の「古山家 紅葉に惹かれ 鮎が飛ぶ」は、鮎(夏)が紅葉(秋)を追う作品ですね。
コンセントをはじめ、これが奇妙な表現と感じた人はいたと思います。なぜなら、「季節は訪れるもの」または「季節は去るもの」として「受け身」でいるから。
…ということは、「(いずれ去っていく)夏(=鮎)を追って、秋(=紅葉)がやって来る」という季節感になります。
一方、随風子さんは逆の発想。
つまり、「季節とは、時間と同じように進み、変化するもの」として考えているのではないかしら。
ならば、>>#7の作品は、間違っていないですよね。
…どうでしょう?
季語は一語の俳句で、随風子さんのような季節感を表現するには、もうひと工夫が必要だと思います。それは何かって?…う~ん、わかんない…。
>>#9
中途になってた落ち鮎くん。
情景は、「受け身の季節感」で、>>#7の作品を捉えた場合です。
→>地域によりますが、彼らの産卵期から一足遅れで、山は紅葉を迎えます。
落ち鮎の 香り誘われ 紅をさし
鮎は「香魚」と書くくらい、生きたままでも香りがする魚です。キュウリのいい匂いがします。川そのものが、キュウリの匂いに包まれます。「いま、アユの群れが来てるんだな」って鼻で感じることができるわけです。それが、作品の「香り誘われ」になりました。
でも! 食べてもおいしい鮎です♪ 「食欲の秋」ともいいますよね。美味しそうな歌にもなったらなぁ、と思うと、なかなか言葉が出てきませんでした。
結局、「香魚」の「香り」で作ってみましたが…ちょっと無理があったり…。
>>#12
いいえ♪ コンセントも素人です。中学の頃から、コソコソと詠いだし、高校から短歌を詠っていますが、一度やめると感性が錆びてしまうものですね。
>落ち鮎の 香り誘われ 人ごみに
>落ち鮎の 香り誘われ 酒とかな
早く帰って風呂にでも入ろう、と思っていたけれど、鮎を焼くいい匂いにつられて、ついつい酒盛りの仲間に入っていったのでしょうか。馴染みの居酒屋で、仲のよい客たちと鮎を肴にして美味しく飲んでいる様子を想像します。
→続く
→続き
「人ごみに」の「ごみ」が、鮎の新鮮さを損なうように感じました。また、作者と「人ごみ」において、香りに誘われるほどの、何らかの関係を表現しきれていないように感じます。
でも、コンセントも表現できなかったの…泣
落ち鮎の 香り誘われ 古酒場
落ち鮎の 香り誘われ 枡重ね
「酒とかな」は、「かな」の使い方を誤っていると思います。
正しくは、名詞か、動詞のあとに「かな」を用います。
よって、「酒かな」が正しい使い方になります。字数が足りないけれど…。
(例)
入口も桜出口も桜かな 子規
昼顔にふんどし晒す小僧かな 一茶
花いばら故郷の路(みち)に似たるかな 蕪村
…うーん。ともあれ、プロが詠んだらキレのある作品になるんだろうな。
随風子さん、お互いに精進していきましょうね♪
いま気がつきました。連続コメントしすぎました…。すみません。
書きもれ!
>>#12
>前句の雰囲気を損なわなかったかなと心配です。
そんなことありませんよ♪
>>#15にも関連したことを記しましたが、お魚をとおして人との関わりに結びつけることを考えていなかったので(自分だけを考えていました…^^;)、「なるほど~♪」と唸ってました。
こちらこそ、刺激をいただきました。
どうもありがとうございました☆
>>#13
コンセントさん、凄く美しく描いて下さって、ありがとうございました。この二、三日、忙しくて、返事できませんでした。すみません。
去年11月の三連休に、箕面大滝を見に行きました。ほかのところで、魚が川から跳ね上がるのを見たことがありますので、また食いしん坊の私が、大滝の傍で、鮎を食べましたから。


