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やられたらやり返すという考え方は
どうなんでしょう?
小さい子が友達にいじめられてただ泣いてるだけだとやり返せっていうお母さん達が多いように思います。
まちがっているようにも思うし正しいようにも
思います
回答(10)
8.

「やられたら、同じようにやり返す」のでれば、そんなラチが明かない事は無駄ですね。
泣いて帰ってくるのも、一つの策になることもありますし。いじめで負けても、他のことで勝ればいいと思ってます。個々に得手不得手があるのですから。
ところで、なんでやり返さないとダメなのでしょうね。わざわざやり返せ、なんて言うくらいなんだもの。教育の目的が不明です。
「(やられたことを)やり返す」のならば、むしろ「人をいじめる事がどんなに意気地無しで愚かなことかを、堂々と言いきって謝らせてきなさい」と言います。
こっちの方が、勇気がいるし度胸がつくし。
いやあ、言われた方はビビるだろうよ~。そのビビり顔を考えるだけで笑ってしまいます。
要するに、相手の低い程度に合わせる必要はない、というわけです。
これからは、弁が立たないと社会で通用しなくなりますし、ちょうどいい訓練にもなるでしょう。
ありがとうございます。
2.
3.

但し、大人になったときは違います。やられた理由を考えてそれに対して自分はどうしたいかを決めて行動に移すそれが出来ないといけないと思います。
その結果「やり返す」と結論するのは好ましくありませんが、やり方に気をつけたほうが良いですね。
正直、それを大人になる前に教育するのは難しい事だと思いますが、それを何とかするように努めるのが親の義務ではないでしょうか?
その時の状況や程度 年齢にもよりますね
4.
5.
子供のうちは「殴られたら殴り返せ」という直接的な闘い方が通用するでしょうけれど、大人になったら喧嘩両成敗どころか、大きな危害を加えたほうが悪者にされてしまいます。
子供のうちから闘い方を教育するのも「しつけ」の一環として重要でしょう。
それに、いじめられているのであれば、相手は友達じゃないですよね。「友達にいじめられている」という表現がそもそも成立しません。
6.
7.

冗談で叩いた事に対して叩き返すのと、
体に一生消えない傷を負わせて同じ事をやり返すのも内容が違うだけで、やり返すという事は一緒。
要はやられた内容によって、やり返しの仕方が変わってくると思います。
やった子供を叱ると言う意見もありますが、
親や友達などの悪口を言われて殴ってやり返した場合はどちらを叱るべきなのでしょうか?
私的にはやり返す事に至った経緯だと思います。
そうなんです、一口に言えないんですよね
暴言と暴力はどちらが悪いかという話にもなりますよね
9.
やりかえしたら相手からまたやり返され、
それにまたやり返して・・と
無限に続いてしまって意味が無いです。
いじめられたり叩かれたりしたら、親や先生にその事を報告して、親または先生から処罰するべきです。
10.
しかし、やられても何も言わないのとは違います。
意地悪をされたら「何でするのか?」「してはいけない」という事をその場ですぐに話す事が大切だと思います。
11.
「やられたら、やり返せ」が一番です。
やり返せないお子さんの持つお母さまとその子供の
度胸の無さが伺えて良いと思いました。
私も何度かこれで乗り切っております。
コメント(17)
外国人の事例ですが、やられたらやり返す方式で、いじめっ子を死なせてしまった母親の方がいらっしゃいます。刑務所で服役したようです。
相手を死なせてしまうのは明らかにやりすぎで、それは「闘い方を間違えた例」です。ものには「程度」「限度」というものがあって、それを教育する機会を得られなかったのは親子ともども不幸だと思います。
だからといって「いじめられたまんまでいい」という話にするのは無理があるでしょう。
>2
『目には目を』というのは復讐を奨励する言葉ではありません。
相手の目を傷つけた者は目を、歯を傷つけた者は歯をもってそれを償わなくてはならない、(しかしそれ以上の復讐を制限する)という意味で、旧約聖書のモーセの律法に出てくる言葉です。
(出エジプト記21.24/レビ記24.20/申命記19.21)
イエスはここから一歩踏み込んで、
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
と言っています。
参考・http://www.nibanmati.jp/sermon/ser_mat31.html
>#3
もちろん意味は存じております。そして私が主張するのは、あなたが誤解なさっているようなことでもありません。
また私はクリスチャンではありませんので、聖書に「こう書いてある」とおっしゃられても対処しません。
要は「泣き寝入りしないで、自分の主権を守るために戦いなさい」ということです。その闘い方が「話し合い」になるか「実力行使」になるかは、その場の成り行き次第です。
>>#3
あの、、、横から失礼しますね。
てんぷらさんが、おっしゃっているのは、
>>2 (一つ、>の字は抜けていますが。。。)
なので、ひら☆やんさんのコメントの2じゃなくて、taktakさんの回答の2のについておっしゃられているのではないでしょうか。。。
ひら☆やんさん、すみません。
ひよこ画伯やすさんのおっしゃっている通りなんです。
誤解を与えるような書き方をして、申し訳ありませんでした。
ひよこ画伯やすさん、フォローありがとうございました。
>9 ノワールさん
先生や親にはなかなか相談できないものなんですよ。子供なりにプライドがあって「弱味を見せたくない」「親に心配かけたくない」という意識がはたらいて、ひとりで抱え込んでしまうケースが多いのです。
また先生は「いじめは存在しない」と思いたがるので、相談することでよけいに事態が悪くなる場合があって、相談は慎重さを要します。
>>#8
ひら☆やんさん、ご指摘ありがとう御座います。
ですが、子供に「いじめを先生に報告して助けてもらうことは恥ずかしいことではない」と教えてあげるのがいいことなのではないでしょうか?
それで先生が事実を隠そうとするのなら、親が出て行って抗議するのが正しいと思います。
泣き寝入りや復讐などは決していい方法とは言えないと思いますよ。
ノワールさん。
「やられたらやり返す」というから、暴力に対して暴力で返すという論理に陥りがちですが、実際には「泣き寝入りしない」「闘う(これも誤解を受けそうですが)」ことです。
私の経験でいえば「親が出て行く」のは最悪の結果を招きます。前述したように「子供にもプライドがあるから」です。表面上のいじめはなくなっても、「あいつは親が出てくる」と陰口を言われ続けます。暴力を受けることがなくなるだけで、精神的ないじめにシフトするだけです。そうなったらイジメの存在を証明することがかえって困難ですし、先生に相談すれば「気のせいだ」と言われかねません。
現実的な方法は、子供を心身ともに強くすること。いじめられて困った顔をするから面白がられる。ならば「相手にしない」態度を貫ける肝の据わった心身に鍛える。理想論みたいですが、実際には最も早くイジメをなくす方法です。
>>#10
そうですね。
ひら☆やんさんが最後に書かれた
「相手にしない」と言うのが一番の解決策かもしれません。
実際ボクも「相手にしない」とはちょっと違いますが、
中学校の頃、馬鹿だった為にいじめられても「気付かない」時がありました。(爆笑)
そしたら、いじめてた(であろう)人たちとも仲良くできました。
まぁ、ボクの場合だけだろうけど。^^;
ちなみに、当時いじめられてた事には社会人になってから同窓会で他の人に教えられて気付きました。
ベターどうもです♪
その後、先日TVでやっていた「それでも僕はやってない」を観て思ったのですが、暴力ではなく法に従った解決というのは必ずしも正しい訳ではないという事でした。「やり返す」・・・回答やコメント数を見ても、皆さん関心のある永遠のテーマだと思いました。
「相手にしない」、又は、「いじめられてただ泣いてるだけ」だと
相手や状況によっては、「いたずら」がエスカレートする場合があります。
時と場合によっては「やられたら、同じようにやり返す」事が現実解・・・注;唯一解では無いです。
つまり、針やハサミやカッターや包丁等を慎重に扱うのは、
扱いを間違えると怪我をするし、痛いから。
ベターありがとう。
相手を、された事と同じように傷めつけるよりも、指一つ触れずに、相手の誤りを論じて屈服(土下座)させる方が、相手のためになるし、とにかく痛恨の一撃になりますよね。
たくさんの回答コメントありがとうございます。
この問題はとっても難しいです
私個人としては基本的にやられたらやり返せは好きではありませんが
時と場合によっては、、と思うこともあれば
いかなる時だって、、と思いたいところもあります
時と場合では線引きが難しくて
考えれば考えるほど答えは遠ざかります。
ただひとつ言えることは相手に反撃させるように
やり返すのではなく反省させるようにもっていく
方が賢いかと自分なりに考えています。
ベストありがとう。
相手に反省してもらえれば、仲直りすることも可能ですよね。自分次第では、新たな友情を培うキッカケになることもあるのだから。
コンセントの考えは、理想や屁理屈に感じるかもしれません。
しかし、感情第一の行動が、双方の為となる結果をもたらすとは思えません。
理性と客観的な意見を以って、相手の非を認めさせる――大変な勇気が伴いますが、いじめに屈しない姿勢の一つだと考えています。
いじめは「小さな戦争」です。
この戦争で苦しんでいる人たちが、今もたくさんいるのよね。
「戦争」がなくなることを、切に願います。

