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「いじめ」についての疑問
いじめをする不逞のヤカラどもは、なぜ他人をいじめるのか?他人をいたぶって、そんなに楽しいのか?
私は、「突っ込まれる」前に申しあげておきますが、私から私に対して危害・侮辱をしていない者に対して、私からいじめをやったことは、これまで一度もやったことはない、と断言いたします!
私には、他人をいたぶって楽しむ、と言う概念はありません!
相手から攻撃した時に、応戦・報復はやったことはいくらでもありますが。
回答(3)
1.

いじめをしている人の多くは、何処かで誰かに危害を加えられているのではないかと思います。体罰、言葉の暴力それぞれ心に深い傷を残すような体験をしている人。
もしくは家族の誰からも相手にされていないなど、なんらか満たされない気持ちを強く持っている人だと思います。
満たされない気持ちのはけ口を他人に求めると「いじめ」という形になるんだと思います。
いじめた相手が苦しむ姿を見て、自分はこんなに辛くないと慰めてる・・・
何にしても、歪んでいます。
2.

逆に考えるとそういった手段しか取れない哀れな方だと私は思います。
ストレス解消のためとはいえ、そのために他人を犠牲にしては絶対にいけないということを教育すべきだと思います。
そして代わりにストレス発散できる方法を見つけ出すことそれが人としての義務と考えます。もちろん他人の犠牲にしない方法ですよ~(笑)
3.

す。1つ目は世の中にそんな野からがうじょうじょ
いること。2つ目は、自分が加害者に成っている事に気が付いて居ない事。此れは非常にデリケートで
難しい問題です。1つ目の問題は人で有るが故のサル山的思考。未発達な猿人回路の残留物が残って居
る為でしょうか。要するに人はサークルの中でしか生きて行けない動物でありどんなに他人を無視仕様
が常に集団の枠〔サークル)の中に居る。其の枠から外れた時、人は、死を選ぶ。其の昔ずーううと大
昔、原始時代、人は集団でなければ生きて行けなかったはず。一人で行動摺れば其れは死を意味してい
たであろう。しかし、この時代は(あくまでも私的想像の世界では有りますが)強い物は集団の長であ
り、他の皆を守る立場で有ったろうと。其れがやがて、知恵が付き力のメリットを覚え支配者と成って
行く、それがやがて、いじめと言う概念を生み出す。あ、ちゃー、又永く成ってしまいました、第2
項目は又の機会に失礼しました。北の熊親爺でした。
コメント(22)
「不貞の輩」じゃなくて、「不逞の輩」。
報復のためであれば、例えば、立場が変われば「いじめる」のはOKともとれますが・
↑
私は、ガンジーやキリストみたいに、暴行を受けっぱなしで耐えるというような聖人君主じゃありません。
あなたは、ワルどもから一方的にイジメをやられっぱなし、暴行を受けっぱなしで、耐えますか?
いじめは絶対許されませんが、応戦や正当防衛は許されるのではないでしょうか?
お三方、有難うございました。
私は、自営業なので、時間の融通が利きますので、数種類のボランティア活動をしていますが、そのひとつに、某人権NPOに所属し、いじめの相談を受けます。
大抵彼らいじめを受けた者は、異口同音に同じ事を言います。
先生に相談をしたら、『やられるお前が悪い』 『お前に原因があるからだ』 『お前が改めなければ、いつまでもいじめを受ける』と言われるようです。
また、警察に通報したり、マスコミに報告したり、弁護士に依頼したりしようものなら、教師どもは逆ギレして、『なぜ学校で起きたことを外部に持ち出すんだ!』ってからまれるようです。
いじめが横行している大きな原因の一つは、アホバカ教師が多くのさばっているからです。
過去にいじめを受けた者が、いじめる側に回ってOKというのは、どうでしょうかね?
クリスチャンを標榜する人が報復々々というというのは、なぜでしょうね?
「右頬を打たれたら左頬を差し出せ」とか
「汝の敵のために祈りなさい」とか
イエスに言われていることができないのに、
私はイエスじゃないからできない、とか
言われたらイエスの立つ瀬がないじゃないですか。
というか、イエスの言うことを聞かないのであれば、クリスチャン足る要件を満たしていないとおもいます。
BLUEPIXY 殿
それでは、あなたは、他人から侮辱や暴行を一方的にやられっぱなしで、いくら暴行を受けても、侮辱を受けても、ひたすら耐えるのですね?
あなたのお子さん・お孫さんが、あなたの目前でやられても、お子さん・お孫さんに、仕返しは悪いことだから、ひたすら耐えなさい、って教えるのですね?
あなたのお子さん・お孫さんが、ワルに惨殺されても、いじめ殺されても、いじめが原因で自殺しても、ひたすら耐えるのですね?
あなたの理論では、弁護士を雇って、刑事告訴とか損害賠償請求するのも『報復・仕返し』になるから、一切してはいけないことになりますが、いかがでしょうか?
(続き)
>過去にいじめを受けた者が、いじめる側に回ってOKというのは、どうでしょうかね?
普通の国語力で読めば、このようなことを私は申していないことは明白ですが。
>イエスの言うことを聞かないのであれば、クリスチャン足る要件を満たしていないとおもいます。
ローマ教皇でも、ジーザスの指導・命令を100%
実行できませんよwww
あなたは、新約聖書を全部読んだことがありますか?
ジーザス自体が、一度武力行使したことがありますよ。
BLUEPIXY殿
多くの仏教坊主は、信者・俗人に対して御仏の教えとかを説いているのに、本人が仏の教え破って、踏みにじっていますよねえwww
エロ坊主や、カネに汚い坊主や、煩悩の塊の坊主がごろごろいますよね。
あなたは、このことをいかがお考えでしょうか?
BLUEPIXY殿
それで、結局あなたは、一体何をおっしゃりたいのでしょうか?
いじめをやるワルどもを擁護し、いじめを受けるものを批判したいのでしょうか?
被害者たちは、やられる者は、ひたすら耐えろ!、殺傷されても抵抗や応戦をしてはいけない、と言うことでしょうか?
かみ合わない論議はしたくないですが・
#7>普通の国語力で読めば、このようなことを私は申していないことは明白ですが。
#2に対して、#3のコメントが否定ではなく、むしろ肯定的であると取りました。
私の国語力についていえば、中高と5段階評価で3~4でしたので、まあ、普通と言えるかと思います。
#6>侮辱を受けても、ひたすら耐えるのですね?
私が言っているのは、「いじめ」を受けた場合、「いじめ」をして良いかという話です。
#8>多くの仏教坊主
破戒坊主が、仏教を実践する者として要件を満たしていないのは明かです。
釈尊も「バラモン(この場合カーストとしてのバランをいうのではありません)は、生まれによるのではなく行いによる」と言っています。
日本のいわゆる仏教と自称している坊さん達は、世界的に(例えば、タイやスリランカのような仏教国で)は、在家信者以下に見られています。
本当を言えば出家者でさえありません。
そのことに関する私の見識が、何の関係があるのか存じませんが、参考になりましたでしょうか?
#7>ローマ教皇でも、ジーザスの指導・命令を100%実行できません
教皇が聖書をそのまま信じているワケではないといいうことは、前にも書きました。
ただ、別に、100%の実践をイエスが求めているわけでもないでしょうけれども、
基本的な教えの根幹となる部分というのはあるでしょうね。
つまり、「報復」を唱える方にとっては、それは基本的ではないというワケですよね。
ちょっとわかったような気がします。
#7>あなたは、新約聖書を全部読んだことがありますか?
ジーザス自体が、一度武力行使したことがありますよ。
1度ならず読んだことがありますが、記憶が完璧ではないので、失念しております。
できたら、そのような場面を教えて下さい。
多分、このような場面で引用できるようなコトなのでしょう。
#9 については、すでに#11で書きました通りです。
念のため。
#12 バラン
バラモンの間違い
BLUEPIXY殿
ご返答有難うございます。
今後の参考にさせていただきたく存じます。
ところで、あなたのお子さん・お孫さんがいじめを受けても、いじめが原因で自殺に追い込まれても、耐えますか?
明確なご返答お待ち申しております。
BLUEPIXY殿
ご返答有難うございます。
今後の参考にさせていただきたく存じます。
ところで、あなたのお子さん・お孫さんがいじめを受けても、いじめが原因で自殺に追い込まれても、耐えますか?
明確なご返答お待ち申しております。
#16>あなたのお子さん・お孫さんがいじめを受けても、いじめが原因で自殺に追い込まれても、耐えますか?
なんだか、お待たせしたようですみません。
人にも都合があるということを了承下さい。
私自身のことでいうと、やはりそういう場面のことを考えたりすることがあります。
相手を許すべきだと思う場合もあれば、
「目には目を歯には歯を」が相当だと思うこともあります。
実際のその場面になってみないと本当の所どちらに転ぶかどうかは、わかりません。
ただ、言えるのは、私はイエスの信者でもなんでもないので、イエスの法に縛られているわけではありません。
ここでの論点を整理しておきたいと思います。
端的に言えば、
・いじめの報復としてのいじめは良いか?
・クリスチャンは報復して良いか?
の二つあるんじゃないかと思います。
はじめ1つについては、
#7>いじめの仕返しのいじめはOKではない。
ということですので、意見は一致していますね。
なので、後は、2つめということになりますね。
私の興味のあるところもそこで、
私がどうこうというより、イエスとその信者の間の話なのだと思っています。
↑
報復・応戦にもいろいろあります。
既述のように、法にモノを言わせる・弁護士や警察に頼る、と言うのも一種の報復・応戦ですし、私の場合は、襲撃されたら、当然刑法で赦されている正当防衛権をためらいなく行使します。
殺傷されてまで、ジーザスの教えを死守しようなんて思いません。
ただ、キリスト教徒・カトリック教徒として、絶対に私からいじめをしない、と言うことです。
>#20
よくわかりました。
かねてより、
イエスの求める所は大変に厳しいものであり、それを信者の方々はどのように受け止められているのか興味がありました。
答えにくい疑問に答えて頂きまことにありがとうございました。
人間が居る以上、いじめはなくなりませんよ。
