感動と鬱
自分は、泣くほど強く感動する話、テレビ、映画を観たあとは決まって鬱な気分になってしまいます。長いときは1週間ほど鬱が続きます。表現し難い鬱で、もう一度その作品(話、テレビ、映画)を観ても鬱が解消されることはありません。これって異常でしょうか?また、対処法はありますか?
回答(7)
1.

もともとそういう素質のある人は、いかにも「落ち込んでもしょうがないな」というできごとでなくとも、昇進とか卒業・入学などの喜ばしいできごと、または引越しなどの急激な環境の変化によってうつが出てくることがあります。
そういうことと同等の精神的なショックを受けてしまうのだ、ということでしょうかね。
それだけナイーブな心を持っているとか。
あるいは、そのテレビとか映画とかの物語と、いまの自分のありようとを比較してしまって、それで自分を卑下してしまうとか。
現実と比較してしまって、その違いに愕然として、その落差を感じる気持ちの持って行き場がないとか。
だとしたら、「のめりこみすぎるな」「まじめに考えすぎるな」ということだと思いますが。
「あれはあれ、これはこれ」という感じで、すぐに現実に引き戻されざるを得ないような環境を持っていないのではないか、とも思います。
いつまでも引きずらないためには、泣くほど感動したなら、思い切って一晩ずっと泣いて発散してしまえ、ってこともありますけど。
まじめで理想が高く、完ぺき主義で、周りの目を気にしやすい、影響を受けやすいとか、そういうタイプの人がうつになりやすいです。
質問にあるような文章だけではよくわからないですが、とりあえず、もうちょっとイイカゲンに、現実的に生きるようにされてください。
ほかのことで、いわゆる精神的ストレスがたまっている状態なのかもしれません。
なんとか軽くしたり、脱することができるように考えてみてください。
あと、ちゃんと栄養バランスのとれたものを食べて、充分に睡眠をとることです(脳を休ませることがたいせつです)。
なお、以前からずっとそうで、うつになるのはいやなのにそういう物語が好きだ・・・などとなったら、これはある意味、そのうつはご自身にとってメリットがあることなのかもしれません(そのせいでいやなことから一時的に逃げられるとか)。
こういうのを疾病利得ということもありますね。
よく考えてみてくださいな。
いつも1週間ぐらいで気分が回復するならいい(本人にしてみれば「いい」なんて言ってほしくないでしょうが)ですけど、長引いたりマジで辛いようなら医者へ行ってください。
>まじめで理想が高く、完ぺき主義で、周りの目を気にしやすい、影響を受けやすいとか、そういうタイプの人がうつになりやすいです。
かなり該当しちゃってます・・ 自分でもこれじゃ精神的に脆くなりがちだよなと思い、割といい加減な態度もとったりしてるのですが、これからはより意識的にしていきますね。
>そのうつはご自身にとってメリットがあることなのかもしれません(そのせいでいやなことから一時的に逃げられるとか)。
なるほど・・・確かに、そういう考え方もできるかもしれません。
>いつも1週間ぐらいで気分が回復するならいい(本人にしてみれば「いい」なんて言ってほしくないでしょうが)ですけど、長引いたりマジで辛いようなら医者へ行ってください。
いえいえ(笑 むしろ、「いい」といわれた方が安心します。流石に1週間以上は経験がないので医者にかかる必要はないようですね。
2.

そうなのでしょうか。考えすぎなのですかね。
軽々しく「鬱」を用いたのは良くなかったです・・
以後注意します;
3.

感動すればドーパミン放出がもとになって、脳内に心地良い感情が生じ高揚します。
素晴らしい映画を見たあとの観客達のほうけたような表情は似通っていますね。しばらくはその高揚感があとをひいて日常の感覚に戻れませんが、上がったものはいずれ下がらなければなりません。
そのクールダウンが自然に行われれば、現実とのギャップになやむことなく、しばらくすれば普通の生活に脳が適応して行きます。
一週間ほど鬱っぽく、何もする気が起きない、気持が外に向かない、深い穴の底にいるような気分から抜けられない、それはあまりにも感動する心が強くてクールダウンにも時間がかかっているのではないでしょうか。
対処法?経験からいえば、年齢が進むと感動もうつうつとする落ち込みもだんだん減ってくるような気がします。
今がそうでも「感動することをやめた人は、生きていないのと同じことである」とアルベルト・アインシュタインさんもいっているし、感動することは止めないようにしましょう。
非常に参考になります。じっくり閲覧します。
>一週間ほど鬱っぽく、何もする気が起きない、気持が外に向かない、深い穴の底にいるような気分から抜けられない、それはあまりにも感動する心が強くてクールダウンにも時間がかかっているのではないでしょうか。
そうなのかも知れません。多分そうなんでしょう。今まではあまり意識していませんでしたが、心打たれやすい人間なのかもしれません、自分は。
4.

私も、感動した話や映画など、いつまでも引きずります。
特に、哀しい結末の話や、納得のいかないえげつない終わり方のお話は、最悪です。感動の映画予告ですら引きずりますから・・・
「セブン」という映画を観たときは、約1ヶ月引きずりました。
「ほたるの墓」は、二度と観られない映画です。
私の症状は、壱拾壱番さんの症状とは違うのかもしれませんが、うつ状態が続くのは、同じです。
そういう症状を、異常だとは思いません。信長さんが、おっしゃるように、感受性が強いのだと思います。
私の対処法は、
1.うつ状態を隠そうと、無理に明るくしない。
2.周りの人に、あらかじめ凹んでいる事を伝えておく。
3.同じ映画や話を観ない。
4.暗い話題を避ける。
5.早く寝る。(横になる)
6.仕事が辛いなら休む。
7.いつもより、少し贅沢をしてみる。
8.森林浴に出かける(緑の多いところを散歩する)
などです。参考になれば、幸いです。
やはり同じような方もいらっしゃいますよね。私も安堵している次第です。
>1.うつ状態を隠そうと、無理に明るくしない。
2.周りの人に、あらかじめ凹んでいる事を伝えておく。
3.同じ映画や話を観ない。
4.暗い話題を避ける。
5.早く寝る。(横になる)
6.仕事が辛いなら休む。
7.いつもより、少し贅沢をしてみる。
8.森林浴に出かける(緑の多いところを散歩する)
おぉっと(笑
3.に関してはまったく逆らったことをしてしまいました・・・ 憂鬱感がことさらに深まった訳でもありませんでしたが、少なくとも対処法ではないですよね・・
他の方法も参考にさせて頂きます
5.

あなたの投稿を拝見して、とっさに「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟(うぶね)かな」と言う芭蕉の句を思い浮かべました。
岐阜を訪れた松尾芭蕉が鵜飼を見て詠んだ句ですね。
夜の闇の中、松明の灯りに照らされた中に、鵜と鵜匠が演じる巧みな演技(駆引き?)が浮かび上がる。
しかし、鵜にしてみれば演技してるわけではなく、必死に、生きるための営みをしているのでしょう。
それを絶妙のタイミングで鵜匠が紐を引く、鵜にとっては折角呑み込んだ鮎が腹を満たす事無く、吐き出させられる。
鵜は目を白黒させながら、自分の長い首を恨んだのかも知れませんね。
鵜と人の間の、営みの違いを面白いとも思い、同時に何も解らず懸命に生きようとする鵜を憐れとも思う。
映像的にもズームインして、鵜と鵜匠に焦点を合わせ、そこで行われるショートストーリーに一喜一憂する。
一転、ズームアウトして、漆黒の闇の中に点々と浮かび上がる松明の灯り。
幽玄の美とも言えるし、わびしいとも思える。
この感覚を、若い方は「淋しい」と捉える。
「淋しいのは嫌だ」、「嫌だから楽しくしよう」という方向へ行ってしまう。
そして、ついには「楽しくないから、自分は良い人生を歩んでいない」、「楽しい人生を歩めない自分は価値の無い人間だ」とまで、思い込んでしまう。
私のような年寄りが「それはちょっと違うんじゃないの?」と言うと、「じゃー、どうすれば良いんですか」となる。
「方法も提示できないくせに、横から口を出さないでくれ」と言う事になり、話が終わってしまう。
私が若い頃、母親からよく言われた。
「お前ねー、何考えてるのか知らないけど、世の中はお前が考えてるようには出来ちゃいないよ。七つうまく行かなかった人は大成功者、八つうまく行かなかった人は成功者、九つうまく行かなかった人で普通の人なんだよ」
母親は意識的に逆の言い方をしたわけだが、七つ、八つと言うのは十の内という事だ。
「七つうまく行かなかった人は大成功者」は三割バッターは大打者の意味だが、それを逆に言ったのは、それほど世の中はうまく行かないものだという事を強調したかったのだと思う。
6.

「壱拾壱番」さんは多分「私が知りたいのはそんな事じゃない、鬱になるメカニズムとその対処法だ」とおっしゃるのだろうと思います。
「ナレッジ コミュニティ」で私は何度か同じ言葉を紹介しています。
養老孟司さんの「西欧合理主義は『ああすれば、こうなる』と考える、粗雑な思想である」と言っておられます。
私はこれをお借りして「ああすればこうなる教」「ああすればこうなる病」と名付けました。
「ああしても、こうなりませんよ」と言う事になります。
そうすると、また「じゃー、どうすれば良いと言うのか」と元に戻ってしまい、「堂々巡り」になります。
あなたはこの「堂々巡り」から抜け出さねばなりません。
抜け出すためには「じゃー、どうすれば良いと言うのか」、「良い方法はありませんか」と言う質問をやめることです。
『じゃーどうするのか』(笑)
『受け入れる事です』、『あなたの在るがままを受け入れる事です』
私には「壱拾壱番」さんほど深刻では有りませんが、『耳鳴り』があります。
気にしだすと、結構うるさくて、人によっては気が狂いそうになる事もあるそうですね。
で? 何故、私は平気なのでしょうか。
鈍感だから? 大雑把だから? 諦めが良いから? そうかもしれません。
それは努力したからです。
「気にしないように努力したのか?」とーんでもない!そんな馬鹿な事はしません。
一日を振り返ってみて「耳鳴りがしなかった(気にならなかった)のはどんな時か」と考える努力をしました。
絶対にあるはずなんです、気になっていない時が。そうでなければ私も気が狂ったでしょう。
「壱拾壱番」さんにも、絶対にあるはずです、気になっていない時が。
それはどんな時でしょうか、その時何をやっていましたか。
そんな「時」を意識的に増やしていきましょうよ。
粗くも概させていただくと、
「外的に与えられる対処法よりも、自分にあった、自分に適したのやり方を見出せ」 と言う事でしょうか。
たしかに、そのほうが実践的でかつ確実なものですね。今後はそのような視点も取り入れていきます。
御長文有り難うございました。
7.

鬱ではなく、感受性が非常に強いだけだと思います。
それだけ感情移入できるというのは素晴らしいことだと思います。
あまり気にしないで!
鬱が続くときは、逆にコメディやお笑い番組を見るようにしてはいかがですか?
「鬱」というのはやはり語弊がありましたね。。「憂鬱」のほうがよかったかもしれません。
他の回答者様の御意見から考えても、あまり深刻に考えなくてよさそうですね。むしろポジティブに考えていけそうです。



