徳川家康は本当に太っているのでしょうか?
徳川家康の肖像画は太っているイメージが強いですがある資料を調べると「剣術、砲術、弓術、馬術、水術等の武術について一流の域に達していた。剣術は、新当流の有馬満盛、上泉信綱の新陰流の流れをくむ神影流(『奥平家譜』、直心影流伝書による。なお『急賀斎由緒書』では奥山流)剣術開祖で家来でもある奥平久賀(号の一に急賀斎)に姉川の戦いから7年間師事、文禄2年(1593年)に小野忠明を200石(一刀流剣術の伊東一刀斎の推薦)で秀忠の指南として、文禄3年(1594年)に新陰流の柳生宗矩(柳生宗厳と立ち会って無刀取りされたため宗厳に剣術指南役として出仕を命ずるも、宗厳は老齢を理由に辞退)を召抱える、など、生涯かけて学んでいた。ただし、家康本人は「家臣が周囲にいる貴人には、最初の一撃から身を守る剣法は必要だが、相手を切る剣術は不要である」と発言したと『三河物語』にあり、息子にも「大将は戦場で直接闘うものではない」と言っていたといわれる。水術についても、69歳の時、駿河の川で見事な泳ぎぶりを家臣に披露している。馬術も、室町時代初期の大坪慶秀を祖とする大坪流馬術を学んでいる。 また、力も強く、70歳の時に総長4尺7寸(1.4m)の火縄銃で鳶を撃ち落としている。」このような資料を見つけました。
はたして本当に太っているのでしょうか?
回答(3)
2.

それに、実際に太っていたという記述もあります。
ですが、人並みに痩せている肖像画も眼にしたことがあります。信玄に負けた時の肖像がいい例です。
で、私は次のように推測します。
よくあるように、若い頃は痩せて、筋肉は隆々としていた。それが、年をとるとともに筋肉に脂肪がついて太っていった。
また、天下人にふさわしい貫禄をだすために、絵師がことさらに肥満体に描いた。
信長や秀吉との違いを体つきでも表現したかったのかもしれません。
回答ありがとうございます。
1.

回答ありがとうございます。
もしかしたらそうかもしれません。
しかし老化が原因だとすると老化ってこわいですね。
3.
を見ると、特別に太っているようには見えませんね。
コメント(5)
nnさん、BLUEPIXYさん回答ありがとうございます。
みなさんの回答を参考に考えると
1.最初から太っていた
2.若い時は痩せていたが、晩年は太っていた
3.一生涯太っていたの
3説が思い尽きましたが真実はどうだったんでしょうか?
回答3の画像を見ると、それほど太っていませんね。
なので、2の説が有力ですが、本当のところはわかりません。
私たちは歴史の資料に基づいて歴史の事実を判断するより方法がないわけですが、その歴史の資料が必ずしも本当だとは限りません。
時の為政者によって、都合のよいように作成されることが多いからです。
結局のところ、歴史の真実は断定できません。色々な資料を総合して、確率的に判断するしかないと思います。
家康についてはよく知らないのですが、日本でも西洋でも一般的に肖像画は「イメージを大切にする」ようです。
大学の美術史の授業で、偉人の肖像画は似ていないらしいという話を聞いたことがあります。
授業中の雑談のような話だったので、ソースは明らかではありませんが。
ですから、nnさんの仰っている「天下人にふさわしい貫禄をだすために、絵師がことさらに肥満体に描いた」というのは大いにあるのではないかと。
てんぷらさんが登場したからという訳ではないですが、
家康は相当なグルメで天麩羅が大好物だったとか。
私も若い頃は武術をやっていてスレンダーマッチョでしたが、
今となっては、、、
ということで、家康の肖像画は、私の未来像という説が最有力です(泣)




