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仏教について疑問があるのですが
仏教について疑問に思うことがあるのですが、いいでしょうか。 知識が曖昧なので間違っている所も多々あると思いますが、その辺は大目に見てください。
仏教というのは「人間は救われない」というところから始まっており、その救われない理由として、阿頼耶識というものが人間にあるからである。
しかし、実はその阿頼耶識から人間の救いがある。
ということをNHK教育の「心の時代」かなんかで聞きました。
「阿頼耶識」自体、自分はよく分かりませんが、何故人間が救われない理由が救われるものとしてなるのかがよくわかりません。
あと、本当に仏教は「人間は救われない」ということから始まっているのでしょうか。質問内容の間違いを教えてください。
あと、質問内容の事を詳しく述べている書籍か何かを知っていましたら是非教えてください。
3週間前の質問
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回答(1)
1.
2009-11-07 18:05:05
>仏教というのは「人間は救われない」というところから始まっており
私的には、
仏教は、「苦」(苦しみ)を認識するところから始まっている。
と認識しています。
「救われない」という前提から始まるのはそもそもおかしいような気がします。
「阿頼耶識」とは、心の根底の意識のこと(ざっくりとした話なので、間違ってたらすみません)です。
その番組は観ていないので、解釈に間違いがあるかもしれませんが、
要するに、世の中の「苦」や「迷い」というのは、そういう心のありようから発生する。
「阿頼耶識」とは、人間の心の根源部分なので、そういう所から「苦」や「迷い」が発生する以上それは、人間として生きる上で不可避である。
というようなことが、
また、
“阿頼耶識から人間の救いがある”
という論法になっているのではないかと思います。
逆説的に例えて言えば、
心を持たない機械は、
苦悩することはないけど、
同じく悟りに至ることもない。
ということになるかと思います。
私的には、
仏教は、「苦」(苦しみ)を認識するところから始まっている。
と認識しています。
「救われない」という前提から始まるのはそもそもおかしいような気がします。
「阿頼耶識」とは、心の根底の意識のこと(ざっくりとした話なので、間違ってたらすみません)です。
その番組は観ていないので、解釈に間違いがあるかもしれませんが、
要するに、世の中の「苦」や「迷い」というのは、そういう心のありようから発生する。
「阿頼耶識」とは、人間の心の根源部分なので、そういう所から「苦」や「迷い」が発生する以上それは、人間として生きる上で不可避である。
というようなことが、
“救われない理由として、阿頼耶識というものが人間にあるからである。”というような論理じゃないかと思います。
また、
“実はその阿頼耶識から人間の救いがある。”というのは、同じ心の根源的な意識の部分から「悟り」(救い)の意識がでてくるのであるから、
“阿頼耶識から人間の救いがある”
という論法になっているのではないかと思います。
逆説的に例えて言えば、
心を持たない機械は、
苦悩することはないけど、
同じく悟りに至ることもない。
ということになるかと思います。
自信度 : 自信なし
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