回答(3)
1.

しかし、第2次世界大戦で日本が負けだしたとき、住んでいた日本人が逃げる際、取り残された子供たちがいます。この子供たちが中国残留孤児と言われています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6...
2.

下のリンク「週刊こどもニュース:1999.11.7」の
中の「[会えるといいね]1日(月)」を読んでみてください。
http://mail.scu.edu.tw/~mark/News19991107.htm
今から7年半前の記事ですが、わかりやすく簡単に書いてあります。
3.

ソ連人の教えは 日本人は中国人を奴隷の様に酷使して築いた財産は奪っても良い だったのです。
奪われた日本人は着のみ着のままでしたのに、中国人の間では日本人の子供は賢いから欲しいと思う人が多かったのです。そこで売買が成立しました。孤児の証言では一人50円~100円だったそうです。なぜ100円か直ぐ労働力になったからです。
その時に売られた子供が残留孤児です。
成人して中国の育ての親が死ぬ頃 お前の親は日本人だ
と言って死んだり年をとったから教えてくれて、日本の親が死なない内に探しなさいと云ってくれたのだそうです。
コメント(5)
中国残留孤児とは,1945年(昭和20)8月,ソ連の対日参戦とそれに続く日本の敗戦で混乱を極めた中国東北部(旧満州)において,家族にはぐれたり置去りにされたりして中国人に育てられてきた日本人の子女をいい,その数は8,000人とも,1万人を超えるとも言われています。
http://www.tabiken.com/history/doc/L/L359L100.HTM
こういった問題に11歳の子供が疑問を感じてくれることほど嬉しいことはありません。当時、満州国の日本人は60万人。日本に原爆が落とされて終戦を迎えるまでの僅か一週間弱の間にソ連軍は日ソ不戦条約を破り、満州に突入。日本人は逃げ惑い、沢山の子供が取り残され、多数の日本人兵士が抑留されました。戦争はこうも残酷であり、戦後60年になっても日本、中国、韓国、北朝鮮を始めとするアジア諸国にに大きな爪あとを残しています。国民には、ちゃんと歴史を教えてもらいたいと痛感します。
ひまな素浪人さん、ソ連が日ソ不可侵条約を破って原爆投下後に火事場泥棒のように満州に突入したのは8月9日午前10時です。終戦の6日前でした。それでも戦勝国に名を連ね、日本の北方領土を取りました(15日間でなく、6日間です)。言われるように、醜いことです。責任者は恐怖のスターリンでしたが、彼の力を恐れていた米国も英国も迎合してしまったのです。今頃になって、樺太はともかくとして、北方4島の内の2島だけ(それも面積にして4島全体の3%のみ)返すっていっているのです。同じようなことは欧州側の領土でも起こりました。
usaさん 間違いの 指摘 ありがとうございます。
当時の50円~100円て今はどれ位になるのでしょうね。


